恋愛小説が
全部無料で読み放題!
小説投稿もできる!
今すぐダウンロード!

3話 はちゃめちゃな一日

閉じる


「どうしたの、遅刻なんて珍しいじゃない」


デスクでぐったりしていると、隣から真優まゆの声がした。


「・・・おはよう」


のっそり起き上がると、真優が驚いたように目を見開いた。


「ちょっと、髪ぼさぼさだよ。しかも、まさかの・・・すっぴん?」


「・・・はい、そうですね」


電車でメイクするのには抵抗があるし。

朝の通勤ラッシュの中でメイクする技なんか持ち合わせていない。

遅刻した分際で、悠長にメイクをする時間なんてあるはずもなかった。


「もしかして二日酔い? って、そんな訳ないよね。だって昨日、一次会で帰ったんじゃなかった?」


昨日の飲み会に一緒に参加していた真優が、私の乱れた髪を直しながら聞いてくる。


「うん、体調はいたって問題ない。あれからちょっと・・・いろいろあってね」


「いろいろって何? すごい気になる。さては男、とか?」


真優の鋭い突っ込みに、ぎくりとしたけれど。

まさかね、と彼女自身がすぐにそれを否定した。


「渚がそんな簡単に、恋愛に向き合うようになるとは思えないしね」


「ま、まあね」


動揺が声に出てしまう。

勘の鋭い真優にまたなにか言われるかと思ったけど、それ以上は言われなかった。


真優は、私の恋愛事情をよく知っている。

私が恋愛するつもりなんて、更々ないということも。


だからカイのことに関しても、恋愛云々の問題ではないのだけれど。

流石に、会ったばかりの男の人を家に泊めたとは言いづらかった。


「今ならちょっと抜けても大丈夫だから、メイクしてきなよ。そのままじゃ、外の人と会いづらいでしょ」


「うん、ありがと。ちょっと行ってくる」


鞄の中からポーチを取り出し、急いでトイレに向かう。


トイレまでもう少し、というところで、目の前から歩いてくる人物に気がついた。

すっぴんであることの気まずさと条件反射で、くるりと向きを変えた・・・のに。


「あれ、新條さん?」


あっさり見つけられて、身体が強張った。


「あ・・・おはようございます、佐伯さえきさん」


「なに、遅刻だって? 昨日飲み過ぎた?」


すっぴんを見られないように、少しうつむいて挨拶をしたのに。

同じ部署の先輩である佐伯さんは、面白がるように顔をのぞき込んできた。


「あれぇ、可愛い。もしかして、すっぴん?」


すでに手遅れだと分かっているのに、ポーチで顔を隠すようにして佐伯さんの顔を見た。


「見苦しいものをお見せしてすみません。私、急ぐので」


そのまま向きを変えようとしたのに、右手をつかまれ引き留められた。


「待ってよ。昨日だってもっと話したかったのに、早く帰っちゃうしさ。もしかして今日は、彼氏の家から来たとか?」


「違いますよ」


今日に限って、どうしてみんなそんなことばかり言うのだろう。

なんだか、仕事をする前からすでに精神的に疲労困憊こんぱいだ。


「じゃあ、彼氏がいないっていうのは本当なんだ。それなら、いくら誘っても応じてくれないのはなんで? 俺が嫌ってこと?」


「佐伯さんが嫌っていう訳じゃないです」


いつも軽いノリで絡んでくる、この先輩。

長身で端正なルックスに加えて、高学歴というスペック。彼を狙っている女性社員は多いというのに、最近なぜかこうしてしょっちゅう声を掛けられる。


顔を合わせる度にさりげなく食事に誘われるのだけど、果たして本気か冗談か分からない。

彼なりの社交辞令だと思うようにしている。

たぶんこの調子で、他の人にも同じように声を掛けているのだろう。


「それなら恋愛をするのが嫌、ってことか」


心の中を見透かすような台詞に、一瞬言葉が詰まった。


「だったらさ、そういうの抜きでいいから、一度俺とデートしてみてよ」


至近距離で顔を覗き込まれて、思わず後ずさってしまったけれど。

右手を掴まれたままの状態では、逃げ場がない。


「佐伯さん、離してください。ほら、人が来ます」


今私たちが居る廊下を曲がった先のエレベーターから、チンと鳴る音がする。人が歩いてくる気配を感じた。


それなのに。


「嫌だね。新條さんが、オッケーしてくれたら離してあげる。社内で俺と噂になるか、俺とデートするか、どっちか選んでよ」


いたずらな笑みを浮かべる彼は、ほら、どうする、と、掴んだ腕を引き寄せた。

足音が近づいてくる気配をはっきり感じて、変な汗が噴き出す。


「わ、わかりましたから。早く離してくださいっ」


小声で言った途端、ぱっと手を離された。


「約束は、ちゃんと守ってね」


耳元で小さくささやいた彼は。さっきまでの態度が嘘のように、身をひるがえして颯爽と去って行った。

その途端、曲がり角から足跡の主が姿を現し、心臓が妙な緊張感でどくどく鼓動を速めた。


なんだったんだ。


佐伯さんの変わり身の早さに、唖然としてしまう。

いっそ彼氏がいるのだと言ってしまえばよかったと思っても、後の祭り。

恋愛に興味がない女だと分かれば、これ以上誘われることはないと思っていたのに。


一体、なにが目的なのだろう。


もっとノリがよくて綺麗な女の人なら、社内にいくらでも居るのに。

なんだか憂鬱になってきて、小さく息を吐いた。


それに、どさくさに紛れて妙な約束をさせられてしまった。


いや、だけど。

ただの冗談かもしれない。

佐伯さん的社交辞令の可能性が高いし、このままうやむやにした方がいい。

真に受ける必要はないだろう。


とりあえず本来の目的を果たすため、急いでトイレに向かった。




◇◇◇




無事に仕事を終えて、家の前に着いた時。

部屋の窓に明かりが点いているのに気がついて、一旦足が止まった。


やっぱり、居るよね。


もしかして、昨日の出来ごとは幻だったのではないか、とか。

全てカイの気紛れで、もう自分の家に帰ったのではないか、とか、そんなことを考えていた。

それ位、昨晩からの出来ごとは現実味がなかった。


窓からもれる明かりが、全て現実だということを教えてくれる。



階段を上って、部屋の扉の前に立つ。


自分の部屋だというのに、扉を開ける時に僅かな緊張感があった。


「おかえり、会社大丈夫だった?」


ソファの上で胡坐あぐらをかいてくつろいでいるカイの姿を目にした途端、どっと力が抜けた。

いろいろ考えていたのが馬鹿らしく思える。


「ただいま。大丈夫なんかじゃないってば。初めて会社に遅刻しちゃったよ」


今朝の遅刻を思い出したら、軽く落ち込む。


それでも、今までの無遅刻無欠席のおかげで、ほとんど怒られなかったのが幸いだけど。


「これからは俺が毎朝起こしてやろうか」


「これからはって・・・。結構です。いつもはちゃんと起きられるんだから」


誰のせいで、という思いでじとりと視線を向けてみても。

しらっとした表情を浮かべて我関せずのカイ。


「へぇ・・・。それにしては、随分気持ちよさそうに寝てたけど? なにしても起きなかったよな」


「は!? なにって、なにしたの!?」


思わず自分の身体を確かめるように両手を当てた。

でも、だって、昨日はパジャマを着たままだったし、身体にだって別に違和感はなかったし。

慌てる私を見て、カイはぶはっと息を噴き出した。


「ベッドの中に入った時って意味だよ。色気のない女になにもしないって言ったろ」


「カイ―――っ。あなたねぇ。人をからかうのも大概に、」


「ねえ渚、腹減った」


「はぁ!? このタイミングでなに言って、」


「カレー食べようぜ、カレー」


「え・・・」


頭にかぁっと血が上っていたのに、急激に怒りが静まった。

ソファから降りて、すたすたとキッチンに向かうカイ。


コンロの上に置いてある鍋を火に掛けているところを見ると、それにカレーが入っているのだろう。

言われてみれば、カレーのいい香りが部屋に漂っている。


夕食を作ってくれていたなんて。


身体の力がふ、と抜ける。


仕事終わりの疲労と空腹が混在している身体で、夕食を作るという作業は意外と大変だ。

今日は一人じゃないから、どうしようかな、と考えていたところだったのに。

なんだか、今日一日で蓄積した疲労が一気に癒えた気がした。


「冷蔵庫の中、勝手に使ったけど」


すでにキッチンの状態を把握しているらしく、スムーズに食器を取り出したカイがそう告げる。


「いいよ、あるものならなに使ってくれても」


冷蔵庫からお茶を取り出して、カイが出してくれたグラスに二人分注ぐ。

そこで気づいた。ストックしてある食材や冷蔵庫の中のものが意外と減ってないということに。


「ねぇ、お昼なにか食べた? ごめんね、食べものある場所教えておけばよかったね」


と言っても、朝のあの状態で説明をする時間なんてなかったけれど。


「いや、日中はさすがにちょっと動けなかったし、食欲もなかった。身体もだるかったから、渚が言ってたように、もしかしたら熱が上がってたのかも」


「え、やっぱり熱上がったんだ。大丈夫? 無理しないで休んでいてくれてよかったのに」


「日中休んだから、今はもう平気。出しておいてくれた薬も飲んだし」


「そう? それならいいんだけど」


少し気になって、カイの額に手を当ててみた。

帰宅したばかりで手が冷たかったのか、カイの身体がぴくんと震えた。

指先に伝わって来る熱は、それほど高くはなく、ほっと息を吐く。


顔には痛々しい傷が残っているけれど、腫れはいくらか引いていた。

それでもきっと、身体の痛みは昨日よりも強いはずだ。


「ほら、冷めない内に食おうぜ」


私の手から、ぱっと顔を離したカイはキッチンに向き直る。


「うん、ありがとう。手洗ってくるね」


手を洗って席に座ると、食卓には美味しそうに湯気を立てているカレーとグリーンサラダ。


「料理出来るんだね。夕食作ってくれたなんて、凄く嬉しい」


「大袈裟だな。カレーなんて、誰だって作れるだろ」


「そうかもしれないけど」


だけど、作ってくれるという行為が嬉しい。

実家では家族が多いし、両親も仕事をしている。だから長女の私が料理をすることも多かった。一人暮らしの今は尚更、誰かが料理を済ませて待っていてくれることなんてない。

だから、こうして仕事から帰って来て食事が準備されているなんて、初めてだし嬉し過ぎる。


「でも、本当に嬉しいの。ありがとう」


「・・・別に、俺が食いたかっただけだし」


「それでもいいの。じゃあ、遠慮なくいただききます」


「・・・どーぞ」


手を合わせて、スプーンでカレーをすくって口に運んだ。

いつも使っているルーだし、食べ慣れている味のはずなのに。

誰かが作ってくれたというだけで、もの凄く美味しく感じてしまう。


「カイ、美味しい。私が作るよりも断然、美味しい」


「だから、大袈裟だっつーの。ルー使ってんだから、誰が作ったって一緒だろ」


不貞腐れたようにつぶやいて食べ始めたカイの耳が、ほんの少し赤くなっているような気がして、自然と頬が緩む。

昨日からからかわれてばかりな気がするけれど、意外と可愛いところもあるんだな、なんて思ってしまう。


「ねぇ、そう言えば、カイは大丈夫なの? 仕事とか、このまま休んでても。ちゃんと連絡はした?」


一応身柄を預かっている身としては、どうしても気になるのはその辺りの事情。


「あー・・・、それは大丈夫。別に心配いらない」


「そう、それならいいんだけど」


途端に表情をなくして視線を逸らしてしまうから、聞かれたくない事情があるんだろうと思った。

怪我をした事情も含め、興味本位で聞くべきことではないのかもしれない。

今後のためにも、二人の距離はこれ位が丁度いい。


料理を二人でぺろりと平らげて片づけをしている間に、カイはお風呂に入った。

カイの背中の傷は自分の手では届かないから、せめてここに居る間はちゃんと消毒してあげたい。



「風呂、入れ替えておいたから、入れば?」


「うん、入るけど・・・って、ちょっと」


そこには昨日のデジャヴのように、ズボンしか身につけていないカイが、髪から雫を垂らして立っていた。


「ねぇ、Tシャツくらい着たら?」


「風呂上りで熱いし、面倒だろ。どうせすぐ脱ぐのに」


消毒のためにね、と私は心の中で強調した。


紛らわしい言い方は、心臓に悪いからホントやめて欲しい。


「ほら、頭拭いてあげるから座って」


「・・・悪い」


「いいよ。まだ痛いに決まってるもんね」



素直にバスタオルを渡してきたカイをソファに座らせ、頭を乾かした。


「ついでに傷も消毒するね」


なされるがままになっているカイは、抵抗することなく身を任せている。

随分慣れてくれたな、と思う。

出会った頃の拒否的な態度は、もうどこにもなかった。


「痛て」


「あ、ごめん」


軟膏をつけておいたガーゼがくっついて、カイが顔をしかめているのが見えた。

ガーゼの下に隠れていた傷は、うっすらと血がにじみ痛々しい。


傷の消毒を一通り終えて、湿布も貼り替えた。

念のため薬も飲んでもらって、本日の役目は終了。


慣れた様子でTシャツの上からバンドをつけ直すカイの姿にすっかり満足して、私もお風呂に入ることにした。


カイが入れてくれていたお風呂には、買い置きの入浴剤が入っていた。準備のよさに思わず苦笑いを浮かべてしまう。


マズいな、これは。


だって、夕食にお風呂つきの生活なんて。

一人暮らしの私にとって、これはもの凄く贅沢なことだ。


カイなりに、気を遣ってくれているのかもしれない。だけど、この心地よさに慣れないようにしないと、なんて思ってから我に返る。


まぁ、長くてもあと二、三日のことだろうし大丈夫か。


カイが居る前提でこれからのことを考えてしまい、この生活をそれほど窮屈に感じていない自分に気づく。

今の生活は『普通』ではないのだから、慣れるなんてあり得ない。


うん、あり得ないよね。


お湯に浸かりながら自分に言い聞かせ、身体が十分温まったところでバスルームを出た。

軽く身体を拭いてから、身体にタオルを巻いて。

化粧水をつけようと、洗面台の前に立ったところで突然、扉が開いた。


「あ、悪い」


歯ブラシを口にくわえた状態のカイが、ガチャンと扉を閉めるのが見えて―――。



なに、今の。



突然のことに、呆然と立ち尽くす。



今、なにが起きた?



湿気で曇った鏡の中に映る自分の姿を確認して、すっと血の気が下がる。

かろうじてタオルを巻いている状態だけど、その下には下着すら着けていない。

青ざめていた顔は、すぐに真っ赤になった。


「カイのバカーーーッ!!」


前言撤回。


心地いいなんて、一瞬でも思った自分が馬鹿だった。


やっぱり、こんな危険人物を家に置いとくなんて、絶対絶対、絶対、無理!!