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5話 渋谷シュンスケの新しい日々

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 午前6時半。

 窓から見える空はまだ白くにじんでいる。


「2週間もたなかったな」


 洗面台の鏡に映った黒髪をつまみ上げる。

 染め直したばかりのツルツルとした感触がした。


(不良になる……なんて、思ってたのにな)


 バリカンで刈り上げられそうになって、それは終わった。

 長さは変わらないまま、元より深めの黒になった。


「さて、学校いくかぁ」


 髪型を整えて、軽く頬を叩く。


「行ってくる!」


「はーい」


 洗面所を出て、1階にいる母さんに声をかける。

 遠く声が聞こえて、階段を上がる音が続いてきた。

 おそらく、店の準備をしてたのだろう。


 ウチの1階は喫茶店だ。


(別に、見送りなんていらねぇのに……)


「あら、あんた黒に戻したの?」


 上がってきた母さんが俺の頭を見て笑う。


「うん。そっちの方がいいわよ」


「……あっそ」


「女の子には、黒の方がモテるもんね」


(そういうもんか?)


 俺は毛先をつまんで、ふいと顔を背けた。


「んじゃ、行ってくる」


「はい、いってらっしゃい!」


「……手伝い、出来なくてごめんな」


 呟いて、俺は逃げるように玄関を出た。

 ウチはいわゆる母子家庭。

 部活を辞めたら、母さんの手伝いも出来たかもしれない。


 でも、新コーチの就任で状況は変わった。


(今日からサッカー部は変わるんだ)


 ジャージで膨らんだカバンを引っ提げて歩き出す。

 2週間ぶりに軽い足取りで通学路を歩いていく。



(朝練に出るのも久しぶりだな……ん?)



 前を歩くポニーテールに気づいた。

 隣には、栗色の髪の目立つ女子の後姿。


「だから、何もなかったって」


「えー?」


(上野と大塚、だよな?)


 様子を窺いつつ、人違いじゃないことを確認。

 俺は歩幅を大きくして、距離を詰めていった。


「上野、おっす」


「ぐえっ!?」


 ぴょこぴょこ動いていた馬のしっぽを軽く掴む。

 すると、カエルみたいな声が目の前の女から漏れ出た。


(やべぇ、小学生の時のクセでやっちまった)


「し、渋谷くん!?」


 大塚が驚いて振り返る。

 上野の方は……。


「なにするのよ!」


 ぐい、と俺のネクタイを掴んで引っ張ってきた。


「おい、結び直すの面倒くせぇんだぞ!」


「髪を引っ張る方が最低よ」


「……わり、なんか懐かしくてな」


 自分でも、こんなことをするとは思わなかった。

 思った以上に、今日の練習で浮かれてたのかもしれない。


「だ、ダメだよ渋谷くん!」


 隣の大塚に諭される。


「おう、わるい」


「もっと優しく、撫でるみたいに……ね?」


「へ?」


「――アイナのことは気にしないで。少女マンガの話だから」


「あー……」


 どうやら、大塚先生は絶好調みたいだ。


(2週間で、大塚もだいぶ俺と話してくれるようになったな)


「でも、2人とも仲よしだよね」


「はぁ?」


「やっぱり、この前のデートで距離が近づいたり……」


「「ないない」」


 上野と揃って、意味深な言葉を否定する。


(自分で言うのはいいけど、こいつに言われるのはむかつくな)


「そんな噂になるなら、大塚の方がマシだな」


「え!?」


 だから、ついからかってしまった。

 すると大塚と……何故か上野が顔を赤くした。


「……アイナにちょっかいかけたら、怒るよ?」


 上野が目を細めて、表情を消す。

 油断したら、今にも掴みかかってきそうだった。


(怖えぇよ)




 あいつらと登校したあと、俺は校門で方向転換。

 校舎裏を通って、サッカー部の部室に向かった。

 部活棟に近づくにつれて、ジャージ姿の生徒が増えてくる。

 その中に、見飽きた後輩の姿があった。


「渋谷先輩!」


「おう、トオル」


「やった! 髪、戻してくれたんですね!!」


「まーな」


 軽く挨拶をして通り過ぎる。

 トオルは犬みたいにUターンして、後をついてきた。


「もう新コーチ来てんの?」


「はい! 先輩が説得してくれたんですよね!」


「一応、そうなるか」


「俺、信じてましたよ! 先輩!」


「……うぜぇから纏わりつくんじゃねぇよ」


 後ろをついてくるトオルを腕で押しやる。

 そしてふと、頼まれごとを思い出した。


(そういや、トオルを紹介してくれって頼まれてたな)


「先輩?」


「ま、後でいいか。着替えるから先行ってろ」


「はい!!」




 朝練は小南先生のコーチ就任の挨拶で終わった。

 俺は汗ひとつ掻かないまま、教室へと向かう。


「おはよ」


 途中、珍しく上野から声をかけられた。

 廊下を歩きながら、そのままいっしょに歩く。


「どうだった?」


「朝は引き継ぎと挨拶だった。後は放課後」


「よくなりそう?」


「まだわかんね」


「そっか」


 上野は心配そうに顔を曇らせる。


(そういえば、こういうやつだったな)


 上野って女は、ひと言でいえば『おせっかい』だ。

 よくよく付き合ってみると『面倒見がいい』とか。

 『優しい』って所がわかってくる。

 今も、サッカー部のことを気にして声をかけて来たんだろう。


「……よかったら、見に来れば?」


「え?」


「放課後、小南先生が軽くチームの力を見てくれるらしい」


「迷惑にならない?」


「……いいから来いよ」


 上野には、感謝している。

 だから、一度見に来てほしいと思った。


「じゃあ、行く」


「よし」


 会話を切り上げて、教室の中に入る。

 俺は上野に背を向けて、こっそりと息を吐いた。


(はぁ、放課後は気合入れねぇとなぁ)




 昼のチャイムが鳴ったあと。

 俺はパンを持って教室を出た。


「あれ?」


 不意に、出口で上野とかち合う。


「いっしょに行くか」


「え、どこに?」


「は? 保健室だろ?」


(あ、そうか。もう保健室で飯を食う必要はないんだ)


 格好がつかないので、そのまま歩き出す。

 上野はしばらく立ち止まっていた。

 でも、すぐに後を追って来る。

 あいつは、特に何かを聞こうとはしなかった。


(サッカー部の連中ともまだ微妙な感じだし、しばらくこっちでいいかもな)


 考えながら歩いていると、すぐに保健室についた。


「――今日からサッカー部は変わりますよ!」


「はいはい。頑張ってくださいね」


 戸を開けると、小南先生の暑苦しい声が聞こえて来た。

 もはや名物と言ってもいいかもしれない。


「フラれたばっかなのに、よくやるよな」


「こら、聞こえちゃうよ?」


「っ!」


 呟くと、後ろから頭をはたかれた。

 びっくりして、振り返る。


(上野と俺って、こんな距離感だったか?)


「――小学生のころみたいだな」


「え? なにが?」


「なんでもねぇ……入ろう」


「ん、そだね」


 上野はうなずいて、大塚の方に駆けて行った。

 大塚はそれでこっちに気づいたらしい。

 こちらに、小さく手を振ってくる。


「渋谷くん、こっちで食べるみたい。平気?」


「うん、もちろんだよ!」


 大塚は快諾して、椅子を持ってきてくれた。

 それに対して上野は……。


「不良ごっこで友達失くしちゃったんでしょ?」


 なんて言いながら、にやにやしてた。


「うっせ、ばぁか」


「ふふ、図星なんじゃん」


「ちげぇっての」


 俺は笑いながら、用意された椅子に座る。

 うざい態度なのに、不思議と悪い気はしなかった。


(ダチに戻った。そう思っていいのかもな)




 放課後。

 部室で着替えた俺は、ふとグランドの隅を見た。


(来てるな)


 遠目にポニーテールの女子が見える。

 でも、その隣に人影はない。

 大塚はまだ、こっちには来れなかったようだ。


(調子よさそうだったんだけどな)


 ふと、マスクに眼鏡姿の大塚を思い出す。

 事情は知らないが、あいつらにはいつも影があった。


(なんか、俺も手伝えねぇかな)


 そんな思いが、心のどこかに生まれる。

 俺は足を止めて、上野と、その隣にある大塚の姿を想った。


 その瞬間、大きな声が耳に届いた。


「おい渋谷! 始めるぞ!」


「っと、はい!」


 あわてて顔を上げて、振り返る。

 視線の先で、小南先生がニヤニヤと笑っていた。


「女子が見に来てるからって、浮かれんなよ」


「……そんなんじゃないっスよ」


「そうかぁ?」


「いいから、やりましょうよ」


「じゃ、はじめようか。格好いいとこ見せてみろ」


 小南先生はにやけ顔を引っこめて、ボールを放る。

 今日の練習は2チームに分かれての紅白戦。

 前衛のエースだけを揃えたのが俺のチーム。

 小南先生は相手チームで、ディフェンス側だ。



「本気で行っていいんですよね?」


「もちろん」


 先攻はこっち。

 ボールを足元に置いて、俺は唇の端を釣り上げる。

 余裕の表情を浮かべて、小南先生が不敵に笑う。


(別に、良いところを見せたい訳じゃないけどさ)


 ボールを軽く蹴って、小南先生が受け取る。。

 そして、ボールが俺に返ってきたら試合開始。

 手は抜かず、言葉通り全力で行くつもりだった。


(情けないのは、ダメだろ!)


 強い意志をこめて、小南先生へと最高速度で迫る。

 俺のポジションは中盤のミッドフィルダー。

 前衛のフォワードにボールを繋ぐのが役目だ。

 最初の仕事は、目の前の小南先生を抜き去ること。

 でも――。


「――くっ!」


「よしよし、合格だな」


 俺のボールは、あっさりと小南先生に奪われてしまった。

 後ろで部員たちがざわつくのが分かる。

 一応、俺は1年からのエースだ。


(そんな俺が、簡単にボールを奪われた)


 その事実が部員たちに期待を宿す。


「ボーっとしてていいのか?」


「くそっ!」


 小南先生は鋭いドリブルで俺を抜き去って行く。

 速い――。

 ブランクなんて感じさせない動きで、距離を離されてしまう。


「ほら、パスだ!」


「っ!? ディフェンス!」


 慌てて指示を飛ばすけど、遅かった。

 ゴール前のベストポジションにポストされたボール。

 それを、フォワードが難なく受け取ってシュート。


(あっという間に1点……)


「ほら、次行くぞ」


「――はいっ!」




 結局、練習試合は小南先生のチームの圧勝だった。

 鉄壁のディフェンス。スムーズなパス。

 中盤プレイヤーとして理想的な小南先生のプレーに、誰もが目を輝かせた。


(悔しいけど“ホンモノ”だよ――先生!)


 負けたのに、不思議と悔しさがわいてこない。

 たぶん、部員全員がそうだった。


「負けチームは点数分だけ外周回ってこーい!」


「はい!」


「ディフェンスチームは反省会やるぞ」


「はいっ!!」


 小南先生の指示に、俺たちは弾かれたように駆け出す。

 もうすっかり、コーチとして認められたのだ。


(エースだってのに、パフォーマンスに使われちまったな)


 ランニングを始めて、俺は笑った。

 妙に足取りが軽い。


(本当に変わるかもしれない――新しいサッカー部に!!)


いつまででも走れそうな気分だった。

 期待のせいか、グランドの景色さえ違って見える。


(それも、あいつが――)


 ふと、1人の女子の姿が思い浮かぶ。

 その瞬間、横から声がかかった。


「かっこよかったよ」


 ペースはそのまま、視線を横に向ける。

 フェンスの向こうで、手を振る上野の姿が見えた。


「……さんきゅ」


(お前に相談してよかったよ)




 練習時間が終わったあと。

 部室は今までにないくらい騒がしかった。


「こなんコーチマジやべぇよ!」


「こなん……?」


「小南先生だから“こなん”」


「へぇ、もうニックネームがついたのか」


 小南先生はすでに部員に受け入れられたみたいだ。

 春に抜けて行った3年の先輩も、復帰にはノリ気らしい。


(夏の大会、間に合うかもな)


 知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。

 今日の練習は、久しぶりに楽しかった。


「なぁ渋谷! 今日どっか寄ってくべ!」


「先輩が奢ってくれるってよ!」


「あー、俺は……」


 部室の外に目をやる。

 上野は、まだ残ってくれていた。


「ごめん、今日は遠慮しとく」


 鞄を抱えて、俺は部室を出た。


 背中にからかい半分のブーイングが飛んでくる。

 中には「女だろ、裏切者!」なんて声も……。


「ったく、違うっての」


 戸を閉めて歩き出すと、上野がこちらに手を掲げた。

 俺は手を振り返し、小さく笑う。


(上野は女ではあるが、ダチだ)


「お疲れ様。どうだった?」


「最高。こなん先生、すげーわ」


「こなん? あぁ、あだ名ね」


 上野はくすくすと笑って、肩に鞄をかける。


「大塚は?」


「先に帰るって」


「そっか、あいつにも礼がしたかったんだけどな」


 頬を掻いて、歩き出した上野を横目に見やる。


(大塚もいたら、2人きりじゃなかったんだけどな)


「なぁ……どっか寄ってこうぜ」


「え?」


「礼だよ。なんか奢るわ」


「い、いいよ! そういうのはナシ!」


 上野は慌てて首を振る。

 デートの下見でも、同じようなやり取りがあった。

 彼女は、お金のことになると頑固になる。


(しっかりしてるっていうか、可愛げがねぇよなぁ)


 もちろん、それでは俺の気が済まない。

 歩きながら一呼吸、説得する方法を考える。

 上野が諦めて、お礼を受け取る方法……。


「あっ……じゃあ、ウチ来いよ」


「渋谷くんの家?」


「覚えてんだろ? 俺んち、喫茶店だよ」


「あぁっ!」


「これなら、払うなんて言えないだろ?」




 街灯の明りがポツポツと道を照らしていた。

 空の色は茜色と濃紺を混ぜ込んで、薄闇をつくる。

 そのせいで、上野の表情が読み取れない。


(怒ってんのか?)


 帰り道は妙に上野の口数が少なかった。

 かといって、俺から何か言うこともできない。


「ここ」


「あ……」


 息を吐いて、立ち止まる。

 結局、ほとんど話さないまま家に着いてしまった。


「先に入ってくれ。荷物置いておふくろ呼んでくる」


 告げて、店の中に上野を押し込む。

 そして、ぱっと荷物を置いて戻ると。


「久しぶりねぇ! 小学生以来じゃない?」


「は、はい! そう、ですね」


 上野が母さんに捕まっていた。

 珍しく緊張した様子で、上野は笑っている。


「おふくろ、今日はこっちで飯食っていいか?」


「はいはい。好きなもの注文してね!」


「あはは、どうも……」


 母さんと入れ替わりになって、カウンターに立つ。

 上野はしばらく笑顔を貼りつけて。

 ふと、長いため息を吐いた。


「覚えられてたか」


「そうみたい。小さいときに1回来ただけなのに」


「客商売だしな」


 軽く笑って、俺は上野にメニューを差し出す。


「ほら、遠慮するとおふくろがうるせぇぞ」


「ずるいなぁ……」


「今度大塚も連れて来いよ」


 上野の責めるような視線に笑顔を返す。


「小さい店だから、客が増えるのは歓迎するぜ」


「はは、商売上手だ」


 冗談めかすと、上野はようやく緊張を解いてくれた。


(まったく、面倒くさい奴だ)


「コーヒーでいいか? 前も飲んでたし」


「え? 渋谷くんが淹れるの?」


「手伝いでな」


「それじゃ、お願いします」


「よし」


 念入りに手を洗って、土が爪に入ってないのを確認。

 今日は礼も兼ねているから、粗相は出来ない。


「なんか、様になってるね」


 ポットを火にかけると、穏やかな声が聞こえて来た。

 ちょっと気安い、女っぽい声。


(客は……上野だけだな)


 踏み込んだことを聞くのには最適なロケーション。

 大塚のこと。それに、トオルのことも。

 気になっていることは、いくらでもあった。


「なぁ、トオルを紹介しろって話あったじゃん?」


 何でもない風を装って訊ねる。

 すると、上野はハッとした表情で俺を見上げた。


「あ、そうだよ。お願いできる?」


「いいけど。あいつのこと狙ってんの?」


「は? え? ち、違うわよ!」


 ガタ、と音を立てて上野が立ち上がる。

 どうやら、トオルに片思いという訳ではないようだ。


「じゃあなんで」


「……アイナ、9月からクラスに戻るの」


「ああ、大塚って1年だっけ」


「うん。だから、駒込くんにフォローして欲しいんだ」


「……なるほどな」


 忍び笑って、カウンター越しに上野の顔を見る。

 難しい顔に、少し不安げな色が覗いていた。

 それほどまでに、上野は大塚を心配しているんだろう。


(やっぱり、お人好しなんだな)


「なら、トオルの説得は任せろよ」


「……いいの?」


「俺から言えば即OKだろ。それに……」


 言葉を区切って、ドリッパーに湯を落とす。

 フィルターを避けて慎重に注げば、あとは待つだけだ。

 そこでひと呼吸、豆を蒸らす時間で照れを消す。


「……俺たち友達だろ。今度は俺が手伝う番だ」


 言い捨てて、俺はドリッパーの蓋を開ける。

 ちょうど、湯気が熱くなった顔を隠すだろう。


「ありがと。でも、顔まっ赤だよ」


「……うっせぇよ」


 上野の言葉に、余計な熱が頬へ昇ってくる。


 柄にもないことは、やっぱり言うもんじゃない。




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