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4話 訪問は突然に

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本当に、このままで大丈夫なんだろうか。


会社のデスクに座ってぼんやりと考えてしまうのは当然、今の問題がありすぎる共同生活のこと。



あの後だって、お風呂に入っている時に洗面所に入って来るなと言ったのに。

私のお風呂の時間が長くて待ってられない、なんて、奴はしれっと言い放った。


なんとか言い聞かせてようやく、『バスルーム使用時は洗面所立ち入り禁止』という約束を取りつけたものの。


別に俺は入って来られても困らない、なんてブツブツ文句を言っていたから。

私が困るということを力説して、渋々納得してもらった。



やっぱりこの共同生活は、どう考えても圧倒的に私が不利だ。



数日間とはいえ、精神衛生上よくない気がする。


弟が二人居るから異性との生活でも大丈夫だろう、なんて安易に考えていたのに。

どうやら大きな間違いだったと今更気づく。



昨晩だって、ごねるカイをなんとかなだめてソファに眠らせたはずなのに。

朝になったら気持ちよさそうにベッドの上で眠っていて、愕然としてしまった。


あんな危険人物、このまま家に置いていて大丈夫なんだろうか。


昨日から、そんなことばかり考えている。



新條しんじょう、お前、随分余裕そうだなぁ」



ぼんやりしていたところで、吉岡よしおか課長の声が頭上から振ってきて、はっと我に返った。

キーボードに置いたままの指が、全く動いていないところをばっちり見られたに違いない。



「すみません、課長」



恐る恐る見上げると、課長が不敵な笑みを浮かべていた。

こんな顔をする時の課長が危険だということは、身にみて理解している。



「どうやら仕事量が足りないみたいだな?」


「い、いえ。とんでもありません」


「退屈してるのか、そうかそうか。もっと仕事が欲しいってことだな?」



隣に座っている真優まゆから、ご愁傷さまと言わんばかりの視線が送られてくる。


威圧的なオーラをまとう課長に、これ以上なにを言っても無駄だと悟った。



「うちの部下は優秀で助かるよ。これ、今日中にやっておいてくれるかな」



どさりとデスクの上に資料を置いて、課長が去っていく。


その資料を見て、ため息がもれる。


だってこれは本来、課長の仕事だ。


これで今日は、残業決定。


よくない時には、よくないことが重なるものだ。



「このどS課長め・・・」



聞こえないように小さくつぶやいたはずなのに。



「んん? なんか言ったか、新條」


「いいえ! なにもっ」



地獄耳の課長の声がすかさず返ってきて、シャキンと背筋が伸びた。


隣から、くすりと笑う真優の声が聞こえる。



「バレないように、私も少し手伝ってあげる」



天使のような真優の言葉が、唯一の救いだった。




◇◇◇




「新條さーん、お客さん。もの凄いイケメンが呼んでるよ?」


「イケメン?」



目の前にある仕事の山を減らそうと、必死になっていた時。

同僚から声が掛かって、なんのことかと手を止めた。

同僚が、あっち、と入口の方を指で示す。


視線の先に、思わぬ人の姿を見つけてぎょっとした。


長身で端正な顔に、人のよさそうな笑みを浮かべる姿。

確かにイケメンだとは認めるけれど―――。



「カイッ!?」



ガタンッと椅子の音を鳴らして立ち上がる。

咄嗟とっさに自分の口を手で押さえたけれど、時すでに遅し。



「カイって?」


隣から聞こえてきた真優の声。

でも、感じる視線は真優のものだけではなく。


視線をめぐらすと、完全に周囲の注目を浴びていた。


そんな状況を知ってか知らずか、元凶の主は呑気のんきに手を振っている。


急いでカイのそばに走り寄った。



誰だ、あの危険人物をここに入れたのはっ。



「ちょっと、カイ、ここでなにして、」


「弁当作って来た」



はい、と弁当袋を差し出して、にこにこと笑みを浮かべる男の口を慌てて塞いだけれど。


残念ながら、完璧に手遅れだ。


オフィスの空気がざわりと揺れる。

なぜかそのざわめきの中に、女子社員の黄色い声まで混じっていた。


「ちょっとこっち来て」


そのままカイの腕をつかんで、オフィスから連れ出した。





「なんでこんなところまで来てるのっ」



ようやく問い詰めることが出来たのは、1階の談話スペースにカイを連れて来てからだった。


オフィスの外の廊下で話そうとしたけれど、あからさまに興味深げな視線を寄越されて、逃げるように1階へ降りた。



「弟だって言ったら、受付の人が案内してくれたけど?」


「そういうことじゃなくてっ」



家族だと簡単に信用する受付ってどうなんだ、と心の中でつっ込んでみたけれど。

きっとさっきみたいに、人のよさそうな笑みで受付嬢を丸め込んだのだろう。



「どうしてここが分かったの?」



部署が分かったのは受付嬢のせいだとしても、この数日で会社の名前は知られていない・・・はずだ。


それなのに、どうしてここに勤めていることが分かったんだろう。



「そんなの、誰かさんが机に名刺を置きっ放しにしてるから、それ見て来ただけだって」



カイがなんてことないように告げる。



私の、せいか・・・。



「それにしたって、勝手に来るなんて」


「・・・迷惑だった?」



がっくりとうな垂れていると、思いのほか悲しそうな声が聞こえて、思わず視線を上げた。



「一昨日は弁当作れなかったって叫んでたし、今朝だって時間なかったろ? 迷惑掛けてる自覚あるし、渚に喜んで欲しいと思って作ったんだけど」


「え・・・」



悲しそうな声で眉を下げるカイを見てしまうと、私の方が悪いことをしている気になってしまう。


「どうせ俺、暇だしさ。渚の喜ぶ顔が見たかったからここまで来たけど、やっぱり迷惑だったよな。ごめん、もう帰るわ」


「カイ、ごめん。私が悪かった」


そのまま帰ろうとするカイを、腕を掴んで引き留めた。


「わざわざ来てくれてありがとう。お弁当も嬉しいよ」


「気を遣わなくてもいいから」


カイが背中を向けたまま沈んだ声を出す。


「そんなんじゃないよ。本当に思ってる。カイの作ってくれたお弁当食べたいから、それ、私にください」


背中を向けているカイにはっきり告げると、くるりとこちらを向いたカイがにやりと口角を上げる。


手にしたお弁当を私の頭上にコツンと乗せて。



「愛情込めて作ってやったから、残さず食えよ?」



色気を垂れ流したような笑みを浮かべ、つやっぽい声でささやいた。



至近距離でその表情を向けられた私は、なにも言葉を返せないままお弁当を受け取ることしか出来なかった。



さっきまでの殊勝な態度が嘘のように態度を変えたカイに、はっきり悟る。


私、完全に遊ばれている。




「新條さん? こんなところでどうしたの?」



不意に掛けられた声に、つい身体が強張った。


エントランスから社内に入って来たその人が、こちらに向かって来る。



こんな時に、マズい。


どうしていつも、こんなにタイミングが悪いのだろう。



佐伯さえきさん、お疲れ様です」


「仕事関係の人・・・って訳じゃなさそうだよね」



興味深々といった感じに、佐伯さんがカイの顔をのぞき込む。

デニムと、Tシャツにジャケットを羽織っただけというラフなカイの姿は、到底サラリーマンには見えないだろう。



「もしかして、彼氏?」



この前彼氏は居ないって言ったはずなのに、意地悪そうな笑みを浮かべて問い掛けてくる。



「違います。この人は私の・・・弟、です」



放っておいたらカイがなにか言い出しかねない、と思って勢いで出てきた言葉に、カイがわずかに目を見開いた。


カイだって受付譲にそう言った訳だし。

嘘につい、便乗してしまった。



「へぇ、新條さんの弟さん?」



似てないね、と私たちの顔を見比べる佐伯さんの態度にヒヤヒヤしたけれど。

微塵も動揺するそぶりを見せないカイは、例のよそ行きの顔でにっこり笑った。


「初めまして。姉がいつもお世話になってます」


心なしか、『姉』という部分を強調していたのは、気のせいだと思いたい。


「こちらこそ。俺はお姉さんの彼氏候補だから、よろしく。って言っても、まずはお友だちからなんだけどね」


私に向けて意味深な笑みを見せてきた佐伯さんは、そうだ、と言葉を続ける。


「この前の約束、忘れてないよね。日曜日、映画見てから食事でいい? 店も予約したから、キャンセルはなしだよ」


一気にそれを告げ、私の返事を聞く前に、今度はカイに向き直る。


「日曜日、お姉さんを借りるね。じゃあ俺は急ぐから、また」


律儀に言って、佐伯さんは去っていく。

その後ろ姿を見送って、口からもれるため息。


やっぱりあの約束、有効だったんだ。


あのまま忘れて欲しいと思って放置していた自分が恨めしい。

念を押して断っておけばよかったと後悔しても、最早手遅れ。



「へぇ。あの人、彼氏候補なんだ」



カイの声が、いつもより低く聞こえるのは気のせいだろうか。



「ち、違うよ。別にそんなんじゃない。ただ、ちょっとした手違いで約束せざるを得なかったと言いますか・・・」



なんでこんな言い訳をしているんだろうと頭の片隅で考えていたけれど、カイはあからさまに不機嫌な顔で眉を寄せる。



「日曜日、デートに行く訳だ」


「私も、本気で言ってるとは思わなくて」


なぎさって、マジで馬鹿。本気じゃなかったら、デートの約束なんてしないだろ」


「でも、佐伯さんて誰にでもあんな調子だし」



はぁ、とカイが大きなため息を吐いた。

ホント馬鹿、とダメ押しのようにつぶやいたカイに、私はむっとしてしまう。


なんでこんなに馬鹿馬鹿言われなきゃいけないんだろう。



「俺、身体痛いし、もう帰る。突然悪かったな」


「え、カイ、身体大丈夫なの? 無理してたんじゃない?」



そういえば怪我人だった、と今更思い出して慌ててしまったけれど、別に、と素っ気なく応えて背を向けた。



「じゃあな」



こちらに視線を向けることなく歩き出してしまったカイに。



「気をつけて帰ってね」



と声を掛けたけれど、カイは応えることなく、やがて姿は見えなくなった。



呆然と見送る私の手の中に、お弁当の入った袋だけを残して。





デスクに戻ると、自分に視線が集中しているのが嫌でも分かった。

疲労感が一気に押し寄せる。


あんな状況でオフィスを出て行ったから、当然だろう。


オフィスを出た時も今も、課長が居ないことだけが救いだった。


これ以上、仕事を増やされるのはごめんだ。



「ねぇ、聞きたいことが山積みなんですけど」


「・・・でしょうね」



隣から聞こえた真優の声に苦笑いを向ける。


どこから説明するべきだろうと考えていたところに、後ろから甘ったるい声がした。



「先輩、さっきの人って先輩の彼氏さんですかぁ?」



一つ下の後輩である菜那ななちゃんは、イケメンと結婚して寿退社するのが目標と豪語する、いわゆる『肉食女子』。

独身で出世候補のイケメン社員は、ほとんど彼女の標的と言っていい。


確か、佐伯さんのことも狙っていたはず。



「いいえ、彼氏ではありません」


「どうやら、新條さんの弟らしいよ?」



オフィスに戻っていた佐伯さんが、私の言葉に続いて言う。



「えー、やった、弟さんなんですか? 超イケメンでしたね。今度紹介してくださいよぉ」



菜那ちゃんがイケメン好きとは知っていたけれど。

まさかカイも標的になっているなんて、と。

彼女の守備範囲の広さに舌を巻く。



「はいはい、分かったから。ほら、課長が来るから、仕事に戻った方がいいよ」


「絶対、お願いしますね」



念を押すように言う彼女をどうやってかわそうか考えていると、オフィスの入口に本当に課長の姿が見えた。

ヤバいとつぶやいた彼女は、自分のデスクに素早く戻った。


誰だって、吉岡課長の仕事攻めには遭いたくないもんね。


今度ばかりは、課長に救われた気がする。



ほっと息を吐いたのも束の間。



「ふーん。弟、ね」



ブリザードのような冷気を含んだ真優様の声が、隣から聞こえてきた。



「ま、真優、あのね」


「私の記憶が確かなら、渚の弟は二人じゃなかった?」


「そう、ですね」


「じゃあ、あの人はどなた?」



二人の弟に会ったことのある真優が、声と同じ位に冷えた視線を向けてくる。


「えと、あの人は私のいと、」


従兄弟いとこなんて見え透いた嘘はなしね」


「・・・・・・」


「ランチの時、詳しく聞かせて貰うから」



説教、確定。


いつもは楽しみなはずのランチが、一気に憂鬱になった瞬間だった。




◇◇◇




「馬鹿じゃないの」



ランチの時間、社員食堂の片隅で私の話を聞き終えた真優が、開口一番呆れたように告げる。


今日はよく馬鹿と言われる日だな、なんて他人事のように考えていた。



「どんな奴かも分からない男を家に入れるなんて、どうかしてるよ」


「でも、放っておけなくて」


「渚に関係ないんだから、放っておけばいいでしょ。だから渚はお人よしって言われるの」



・・・ごもっとも。


至極まともな意見に、返す言葉がない。



「渚になにかあってからじゃ遅いから言ってんの。そこんとこ、分かってる?」


「分かってます」



小さな声で答えたものの。

真優は、ホントに信じられない、とまだ不服そうにつぶやいている。



「世の中、いい人ばかりだとは限らないんだからね。渚の人のよさにつけ入る人だっているんだから、もっと危機感持って」


「はい・・・」


私はまだ、カイの作ってくれたお弁当を見つめたまま。

真優の前で、小さく身を縮めていることしか出来なかった。


私を心配して言ってくれているのが分かっているだけに、尚更自分が不甲斐なく思える。



「でも話を聞く限り、悪い人ではないんでしょ?」


「だと思う」



多少、危険人物ではあるけれど、と思ったことはあえて言わないでおいた。



「だったら、恋愛嫌いを治すには、いい薬になるかもね」


「え?」


「ううん、それはこっちのハナシ。とりあえず、怪我が治ったらちゃんと追い出すんだよ」


「うん、分かってる」


「長引くようなら、私にもちゃんと会わせること」


「そんなことにはならないよ」



ふーん、とまるで私のことを信用してないような顔で、真優は頬杖をつく。



「ランチの時間がなくなるし、とりあえず食べよっか」


「うん、そうしよう」



真優のお許しが出て、いただきます、とようやく目の前のお弁当に箸をつけた。



美味しい。



口に入れた唐揚げは、ちゃんと下味がついていて。

しかも、冷凍ものじゃない。


冷凍庫の中には、お弁当に便利な冷凍食品も入っていたはずなのに、どれも使われていない。

色とりどりのおかずは、どれも手作りのものだ。


私が作ったお弁当よりも遥かに手が込んでいて、素直に美味しいと思う。


その事実に軽く落ち込みはするけれど、それでもどんな想いで作ってくれたのか、と考える気持ちの方が先に立つ。


きっと時間が掛かったに違いない。


中身を見ただけで分かってしまう。


それに気づくと、あんな帰し方しか出来なかったことを後悔してしまう。


しかも私、ちゃんとお礼すら言ってない気がする。


胸がチクリと痛む。



「なにこれ、美味しいじゃん」



もーらい、と告げた真優が、箸で掴んだ唐揚げを口にしてから驚いたようにそう言うから。


更に胸の痛みが増した気がした。



「これは、今後が楽しみだね」



小さくつぶやいた真優の声は、カイのことを考えていた私の耳には届かなかった。