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8話 今への足跡

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 部室での一件から、アイナは完全に登校しなくなった。


 私はその翌日に吹奏楽部を退部した。

 3年生はもう引退してたんだけどね。

 卒アルであいつらと同じページに載るのも。

 同じ部にいたことすらも嫌だったから。


 その後、放課後は毎日アイナの家に寄るようになった。


「アイナ、入るよ」


 部屋の前で声をかけても返事はない。


「アイナ」


 戸を開くと、ベッドの中にいるアイナと目が合った。

 あの子は返事をせず、視線だけを私に向けていた。


「痩せたね」


 アイナはご飯も食べず、1日中ベッドに籠ってた。

 2週間もすると、背骨が浮くくらい痩せちゃってね。

 まいった。


「カオリちゃん」


「なに?」


「ごめん、ねぇ」


 3日目くらいかな。

 アイナは初めて、私に声をかけてくれた。


 彼女は1日に1回は、「ごめんね」って言う。

 そして、その後は喋ろうとしなかった。

 私は毎日1時間くらい、アイナの手を握って帰った。

 その間、私から話しかけることはあんまりなかった。

 どんな言葉がアイナを傷つけるかわからなかったから。


 いつだったかな。

 「可愛い」って言葉で、アイナが吐いたんだ。

 “がんばれ”“しっかりしろ”は禁句。

 それはもう、わかってたんだけどね。

 もう、なにがアイナを揺さぶるかわからなかった。


 そんな毎日を過ごして、冬は終わった。

 アイナにはたくさんのお薬が渡されて。

 やっと、ベッドの外で座る姿を見せてくれた。


 鬱ってやつは、すぐ治るものじゃない。

 薬の副作用に慣れるのに、まず2週間。

 薬を欠かさずに飲んで、1か月。

 それで、ちょっと気持ちが落ち着く程度。

 意味のある会話をしてくれるようになったのは……。

 うん、2か月目のことだったかな。


「カオリ、ちゃん」


「はいはい」


「高校、平気?」


「たぶんね。平気だよ」


 単語だけを繋げた言葉。

 それでも、アイナは1日に何回か声をかけてくれた。


「いっしょの高校だよ。もう少しで合否発表」


「そっか」


「自己採点ではいい線いってた。先生に驚かれたよ」


「うん」


 私はちょっと無理して、アイナが合格した高校を受験した。

 女子グループと関わらなくなって時間が余ってたしね。


 もしもアイナが高校に行くことになったとき。

 絶対に、1人になんかさせられなかった。


 それで、2月の終わりくらいだったかな。

 私は見事に今の高校に合格して。

 ホッとしながらいつも通りに過ごしてた。

 そのころには、アイナの部屋に高校の制服が届いてた。


「あのさ」


「うん」


「私、行かないと、ダメ、かなぁ」


「高校?」


「カオリちゃん。いっしょ、してくれた、から」


 アイナは、表情をこれでもかと曇らせて呟いた。

 その日、私はひとつ頼まれごとをされてたんだ。

 アイナが高校に行けるか聞いてほしい、って。

 親から聞くと、あの子はまた無理しちゃうから。


「別に、がんばらなくていいよ」


「……ん」


 私は、思ったまま口にした。

 将来とか考えたらがんばらないといけない。

 でも、それは言っちゃダメだった。

 私自身、言いたくなかった。

 アイナは、もう十分にがんばってたから。


「ちょっとずつ、目が合うようになってきたね」


「うん」


「最初は、すぐにあっちを向いてたね」


「……うん」


「つらそうにしてた……がんばったんだよね」


「……」


「アイナ、少しくらい急がないでいいんだよ」


「でも……」


「行きたくなったら、来ればいいよ」


 今度は間違えたくなかった。

 だから、慎重に言葉を選んだ。


「あんたが一番大切だよ」


「カオリ、ちゃん……」


「学校に少し来ないくらいで、変わったりしないよ」


 あなたが必要だよ。

 放って、どっかに行ったりしないよ。


 そんなことを、ゆっくりと喋った。

 アイナは頷いて、そのまま少し眠った。

 私はそっと彼女の頭を撫でて、部屋を出た。


「ごめんなさい」


「そう、アイナは……」


「私からも、まだいいって、言っちゃいました」


 私はアイナのお母さんに謝って。

 また明日来ていいか訊ねた。

 アイナのお母さんは涙を滲ませて。

 お願いします、と答えた。




 高校に通うようになっても、私はこの毎日を続けた。

 アイナは心の波を落ちつけていって。

 少しずつ、薬の数を減らしていくように努めた。


「私、何か、したいなぁ」


 そう言ったのは、去年の夏のはじまりだったかな。

 それは、生きることに興味が出てきた証しだった。


「じゃあ、マンガでも読む?」


「あー……」


「今度持って来るよ。暇つぶしになるでしょ」


「そうだね。小説って、目が疲れるし」


 アイナには、学校が舞台ではない漫画をあげた。

 大人の恋とか、楽しそうなものを選んだんだけど。


 ……ちょっと失敗だったかも。


 渋谷くんは知ってるよね、大塚大先生。

 まぁ、趣味が出来たのはいいことだよ。うん。


 そんなこんなで、アイナはゆっくりゆっくり。

 今のアイナに近づいて行ったんだ。




「それで、今年から1年生として再出発ってわけ」


 私は無理してつくった笑顔を駒込くんに向ける。


「アイナって、本当はもっと喋る子なんだ」


「……はい」


「だから、あらためてお願い」


 私は膝を揃えて、駒込くんに向き直った。

 瞳にせいいっぱいの誠意をこめて、彼を見つめる。


「付きっきりってわけじゃないから、アイナのこと見てくれるかな」


「もちろんです」


 駒込くんは真摯な顔をしてうなずいてくれた。


 私はホッと息を吐いて、硬いソファに背を預ける。


 いつの間にか、結構な時間が過ぎていた。


「もう8時か」


 重い雰囲気を吹き飛ばすみたいに、渋谷くんがぼやく。


「あれ、もうそんなに経ってた?」


「上野、ここでメシ食ってく?」


「んー」


 渋谷くんの言葉に、私は携帯電話を開いた。

 お母さんから、メールが1件。


「お母さん、ご飯つくってるみたい」


「んじゃ、出るか」


「はい、ストップ」


 席を立った渋谷くんの腕を捕まえる。

 その手には、伝票が握られていた。


「……離せよ」


「前にも言ったけど、自分の分は出すからね?」


「トオルがいるんだから、そういう訳にはいかねぇ」


「じゃあ、私が払う! アイナのこと、お願いするしね」


「あほ、こっちが呼びつけたのに払わせられるか!」


 ぐぐぐ、と力をこめて引っ張り合う。

 すると、駒込くんがオロオロと視線をさまよわせた。


「あ、あの僕がまとめて払います!」


「「1年は座ってろ!!」」


「は、はい!! すみません!」


 揃って叱りつけると、駒込くんはビシっと背筋を正した。


「ったく、やっぱり頑固だな」


「お互い様でしょ?」


「わかった。でも、トオルの分は俺に出させろ」


「……ん」


 妥協点を見つけて、私たちはお会計に向かった。

 そして、席に戻ると、駒込くんが苦笑していた。


「お2人とも、仲良しですね」


「「別に」」


「息ぴったりじゃないですか。ごちそうさまです」


「チッ! おら、出るぞ」


「また舌打ちした……行こっか、駒込くん」


「はい!」


 鞄を肩にかけて、ファミレスを出る。

 もうすぐ夏とはいっても、空は暗かった。


「上野先輩。もう暗いですし、送りますよ」


「おぉ、優しい」


(でも、後輩に気をつかわせるのも悪いかな)


 そんな風に悩んでいると、気だるげな声が響いた。


「いいよ。コイツは俺が送ってくから」


「え?」


 思わず、渋谷くんの顔を見上げる。


「トオル、駅の向こうだろ?」


「あれ? そっか、小学生の時に引っ越したんだっけ」


(それなら、なおさら送ってもらうのは悪いなぁ)


「ありがとう、駒込くん。気持ちだけもらっておくね」


「そうですか……では、俺は先に帰りますね」


「うん。今日はありがとう」


「いえ! こちらこそ!」


 元気な返事を残して、駒込くんは駅の方へ歩き出した。

 そして、残ったのは沈黙。


「……本当に送ってくれるの?」


「おう……なんだよ」


「いや、ちょっと意外で」


(渋谷くんがそんな気づかいするなんてね)


「うっせぇ、早く行くぞ。腹減ったしな」


「ちょっと、送るって言ったのに置いてかないでよ!」


 慌てて追いかけて、隣に並ぶ。

 しばらくの間、私たちは黙って歩いた。

 街灯が私たちの影を伸ばしたり、縮めたりする。

 そして、ふと渋谷くんが口を開いた。


「今日は悪かったな」


「え?」


「あんまり、話したくないことだっただろ?」


「……そう見えちゃったかな」


「ずっと、泣きそうな顔してた」


 指摘されて、私は自分の頬に手をあてた。


(そんな顔、してたかな)


「なぁ、何でそこまで、大塚を気にしてるんだ?」


「……私ね、ずっと後悔してるの」


「何を?」


「私がちゃんと、アイナを助けられてたら」


 もっと早く気づいてたら。

 いじめに負けるな、なんて言わなかったら。

 そんな思いが、今も私の中にある。


「アイナは、ああならなかったんじゃないかって」


 しん、と静まり返った。

 渋谷くんは私と歩幅を合わせて、ゆっくりと歩いてる。

 そして、足音が3つ響いた後。


「……お前さ、変に気にすんなよ」


 渋谷くんは、優しさを感じさせる声で告げた。


「お前、がんばったじゃねぇか。違うか?」


「…………」


(どうだろう。自分じゃわからないよ)


 自分がしてきたことが正しかったか。

 そんなこと、私は今まで考えたことがなかった。


「……昔から、お人好しだったよな」


「そう?」


「気づいてないなら、本物だ」


 渋谷くんはひっそりと呟いて、足を止めた。

 私も、ちょっと遅れて立ち止まる。


「……何よ」


 空いた距離から、彼の顔を見上げた。

 夜空に月が浮かんでいる。

 少し、眩しかった。


「俺さ、お前も大塚も、すげぇなって思う」


「そんなこと……ないよ」


 弱々しい声で否定する。

 でも、渋谷くんは構わず言葉を続けた。


「上野、がんばったんだな」


 聞いたことないような、穏やかな声が私に届く。


(こんな風に、喋ることもあるんだね)


「これから、手伝わせろよな」


「……ん」


「お前んち、この辺だったっけ……泣いてねぇな?」


「泣かないよ」


「そっか……」


 告げて、渋谷くんは再び歩き出した。

 あとひとつ角を曲がれば、私の家が見えてくる。


「ありがとね」


「おう、また明日な」


 送ってくれたお礼を言って、渋谷くんから離れていく。

 振り返ると、もう渋谷くんは背を向けていた。


(あの話、ちゃんと聞いてもらったのって初めてだったな)


 そして、それを肯定してもらったのも……。


(渋谷くんのくせに)


 鼻を鳴らして、門から玄関までの短い距離を歩く。


 その足取りは、不思議なくらい軽かった。




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