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2、矢沢先輩

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春樹と優にいちゃんには

まだ言っていないことがある。


矢沢先輩の告白を断った後の話。



「そいつと付き合ってんの?」


と、矢沢先輩は聞いてきた。

ドスの効いた、高校生とは思えない声。

背が高いせいか、すごい威圧感がある。


どうしてこんな別世界の住人が

私みたいな女子に告白しているのだろう。

一度も、話したことも無いのに。


「付き合っているわけでは無いです」


「じゃあ、まだ望みはあるね」


矢沢先輩は、にやっと笑った。


その笑顔が意外と優しくて、

この人は見た目ほど怖い人じゃないのかも

と、思った。


しかも、

今までの男子は

すぐに諦めてくれたのに、

矢沢先輩は

私のことを諦めていないようだった。


 *


放課後になったけれど、

春樹の席は空いたままだった。


八千代にバイバイを言って

写真部の部室に行く。


私も春樹も、

高校に入学してから

写真部に入部した。

優にいちゃんは美術部に在籍している。


どちらかというと、

春樹の方が真面目に写真を撮っていた。

私はカメラで撮影をするより

暗室での現像の方が楽しいと思っていた。


暗室にも春樹は来ていなかった。

仕方なく、一番奥の引き伸ばし機の

横にカバンを置く。


 *


この学校の暗室は

デザイン科の写真実習でも使うので、

引き伸ばし機が十台もあって、

設備は充実していた。


まだ、他の部員も来ていない。

部長も撮影に行っているのだろう。


現像用のバットに、

現像液と停止液を注ぐ。

酢酸の、つんとした臭いがする。


印画紙乾燥機のスイッチを入れていたら、

突然ドアが開いた。


「矢沢先輩」


よう、とか言いながら、

矢沢先輩がドアの所に立っている。


「暗室を開ける時は

必ずノックして下さい。

光に当たると

印画紙がダメになってしまうので」


「ああ、そういうもんなの? ごめん」


先輩は

思ったよりずっと素直に

あやまりながらドアを閉めた。


 *


「何かご用でしょうか」


「へー、暗室ってほんとに真っ暗じゃん」


矢沢先輩と

暗い部屋に二人きりでいる。

何故かそれほど、緊張はしなかった。

彼の人懐っこいしゃべり方のせいかも知れない。

赤いセーフランプが先輩の顔を照らす。


「何かご用……」

「千里に会いに来たに決まってるだろ」


私に気を使ってくれているのか、

部屋の真ん中にある流し台より

こっちに来ようとはしなかった。

少し離れた所から、

私を見てにやにやしている。


「状況不利だからさ、

ポイントを稼いでおかないと」


矢沢先輩は、

やっぱり私の事を諦めていないんだ。



「好きな人、とやらに

いつ先を越されるか分かんねえし」


春樹のことだ。

もう、そんなこと有り得ないのに。


「……どうかした?」


涙がこぼれそうになった。

先輩の優しさに、

心が折れそうになる。


「振られました」


「え?」


「好きな人、とやらには、今朝振られました」


矢沢先輩の目がちょっと大きくなる。

私に背を向けて、

両手で小さくガッツポーズを取る。

表情は見えないけど、

多分、笑っている。


「あ、ごめん……」


にやけた表情を

無理やり真面目な顔にしながら、

彼は私の方に向き直る。


「だけどさ、悪いけど正直嬉しくて」


 *


先輩が

流し台に添ってゆっくり歩きながら

私の方に近づいて来る。


「もう、断る口実は無いだろ」


引き伸ばし機一台分。

矢沢先輩は今、

すごく近くにいる。

緊張で両腕がピリピリする。


ああ、でも

私は

この人のことを

嫌いじゃない。


むしろ、

好感を持ち始めている。


「俺と、付き合ってよ」


この人なら、

好きになれるかも知れない。


春樹への気持ちを

忘れられるかも知れない。


春樹とは、

ただのいとこ同士に戻るんだ。


 *


「……はい」


「え?」


「よろしくお願いします」


矢沢先輩が、固まっている。

自分で告白したくせに、

何を言われたか

分かっていない顔をしている。


「マジで?」


「私、何か変なこと言いましたか?」


先輩の頬が

上気していくように見えるのは

暗室の赤いランプのせいだろうか。


それとも、

こんなに怖い人でも

赤面したりするのかな。


 *


「……っったああああ!」


外に聞こえそうなくらい大声で

天井に向かって大きなガッツポーズ。


本当に

心底嬉しそうだった。

他人からこんなに喜ばれたのは

生まれて初めてだ。


「ヤバい、マジで嬉しい」


矢沢先輩の左手が

私の右手を取る。

暖かい、大きな手。


「ねえ、キスしていい?」


「え?」


ドキドキしていた気持ちが

一瞬、すうっと引く気がした。


 *


「今ですか?」


「今ここで」


肩に先輩の手がかかる。

キスって、

こんなに付き合ってすぐ

するものなのかな。


「私、したことないんですけど」


「マジ? 俺ってラッキー」


矢沢先輩の微笑みが

暗闇で赤いランプに照らされて

顔立ちの陰影をはっきりさせている。


少しずつ、

怖くなってくる。

先輩に眼鏡を外される。


でも、

これからこの人と付き合っていくんだし。

キスくらい

大したこと、


「!」


 *


先輩の腕が

私の首筋に巻きついて、

唇が

密着して


煙草の味がした。


そして、


「今!な、何か入ってきました!」


慌てて

彼の体から離れる。


「舌」


自分の唇を触りながら、

矢沢先輩は答える。

さっきまでとは違うクールな表情。


舌。

ディープキス。


私が想像していたキスとは

全然違う感じで、


「眼鏡、返して下さい」


矢沢先輩の手から

私の眼鏡を奪い取って、


「お疲れ様でした!」


訳の分からない挨拶をして、

先輩を暗室に残して

部屋を飛び出してしまった。