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3、春樹

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いつもより早い時間に

部室を出てしまったので、

帰りに駅前のコンビニで買い物をした。


いつも読んでいる少女マンガ雑誌と、

薬用リップ。


“ほんのり色づく、チェリーの香り”

と、パッケージに書かれている。


どうしてそんなものを

手に取ってしまったのか、

自分でも良く分からなかったけど、

買ってみてから改めて、


さっきの私、

唇カサカサじゃなかったかな。


と、心配になってきた。


そんなことより、

あんな風に逃げ帰ってしまって、

矢沢先輩は怒っているだろうか。


キスした後の先輩の表情は

なんだかすごく大人で、

あたりまえだけど

男の人で。


「ファーストキスだったのかあ」


まるで、

自分の身に起こった出来事では

無いみたいな気分だった。


 *


「ただいま」


玄関を開けると、

白いスニーカーが目に入った。

春樹の靴だ。


春樹と優にいちゃんの両親は共働きで、

駅からも私の家の方が近いから、

二人はよく我が家にいる。

夕食を食べて帰ることもある。


私の母も

私が高校に入ってから、

近所でパートを始めたけれど、

フルタイムで働いている春樹のお母さんより

ずっと早く帰ってくる。


春樹たちが家にいるのは

子供の頃からあたりまえだったから、

今まで気にしたことは無かった。


だけど、

今日は来ないと思っていた。


私は今朝、

振られたばかりなのに。

春樹も

学校には来なかったのに。


 *


二階の自分の部屋に上がると、

春樹は私のベッドに寄りかかって

雑誌を読んでいた。

ラジオも勝手に付けてある。


「おかえり」


雑誌から顔も上げずに言う。


「優にいちゃんは?」


「学校。まだ部活中じゃない?」


優にいちゃんは、

学校に行ったんだ。


「春樹は学校に来なかったね」


「うん」


春樹は制服のままだった。

自分の家には帰らなかったみたいだ。

一体何時から私の部屋にいるのだろう。


「でも、うちには来るんだ」


「今日、『花とゆめ』の発売日だろ」


やっと顔を上げて、春樹が言う。


 *


あきれた。

あんなことがあったのに、

わざわざマンガ雑誌を読みに来るなんて。


コンビニの袋を軽く投げつけて、

髪をほどく。

おさげにしていたので、

ウェーブ状にクセがついている。


「何か入ってる」


コンビニの袋を覗いていた春樹が

薬用リップを取り出す。


「あ、それ」


隠す必要も無いのに、

何故か慌てて春樹の手から取り戻す。


「千里でもそんなのつけるんだ」


「薬用リップくらい使うよ、私でも」


春樹は

今朝の自分の言葉を

忘れているのだろうか。

それとも

ワザとはぐらかしているのだろうか。


 *


リップのパッケージを開けて、

鏡の前で塗ってみる。


マンガ雑誌を読もうとしていた春樹が

顔を上げる。


「悪くないじゃん」


「リップのこと?

色なんてほとんどついてないよ」


ラジオからは、

爆風スランプの「Runner」が流れている。


  かげりのない 少年の

  季節は すぎさってく

  風はいつも 強く吹いてる


「ついてるよ、眼鏡はずしてみて」


  走る走る 俺たち

  流れる 汗もそのままに


言われるままに

眼鏡をはずす。


  いつかたどり 着いたら

  君に うちあけられるだろ


 *


目を閉じた春樹の顔が、

近付いてきて、

すぐに離れた。


0.1秒、

ほんの一瞬だけ、

かすかに唇が触れた。


「さくらんぼみたいな味がする」


春樹が照れくさそうに言う。


今、

春樹にキスされた?


「そういえば俺、初めてだな」


笑いをこらえているみたいな表情で、

春樹は窓の外を見る。

日が沈みかけて、

空が薄い山吹色になっている。


「私は、初めてじゃない……」


「え?」


「矢沢先輩と付き合うことになった」


矢沢先輩の顔を思い出す。

嬉しそうにガッツポーズしている

先輩の横顔。


「今日、先輩とキスした」


赤かった春樹の頬が

みるみる白くなっていく。

ああ、「血の気が引く」って

こういう状態をいうのか。


なんて、他人事みたいに考えていたら、


「はあ!? 何、その急展開!」


春樹がキレた。


 *


「今朝あんなことがあって、もうそれ?」


大声を出して、春樹が立ち上がる。

言葉がうまく出ないみたいだ。


「やっぱり覚えてるんだ、今朝のこと」


私もゆっくりと立ち上がる。


「俺、千里のこと好きだったんだけど」


今更告白?

しかも過去形?

春樹は動転しているみたいだった。


「俺の気持ち、気付いてなかった?」


怒ったままの声で聞かれる。


「知らなかった。言われてないもん」


「じゃあ言うよ、好きだ」


時間が止まる。


どうして

こんな形で、

ずっと聞きたかった言葉を

聞かなければいけないのだろう。


 *


「でも、もう疲れたんだよね」


何故、春樹が今朝、

突然そんなことを言ったのか、

まだ理由が分からない。


「そうだよ」


春樹の言葉が重くのしかかる。


「もう疲れたから、やめたんだ」


ラジオの曲が終わる。

パーソナリティーの陽気な声が聞こえる。


「だから、今日からは」


言わないで。


「ただのいとこだから」


さっき、

私が自分に言い聞かせた言葉を、

春樹は言い残して


部屋を出て行った。


 *


薬用リップを握り締めて、

崩れ落ちるように座り込む。


涙が、

次々にあふれて

止まらなかった。


矢沢先輩のキスとは

全然違うのに、


ほんの少し

唇が触れただけなのに、


体中が痺れるみたいで、


一秒にも満たないその時間が

永遠に引き伸ばされたようで、


だけど、

悲しくて、

悲しくて、


矢沢先輩、ごめんなさい。

春樹への想いを忘れるなんて、

できないのかも知れません。


ごめんなさい。