恋愛小説が
全部無料で読み放題!
小説投稿もできる!
今すぐダウンロード!

4,円盤雲

閉じる

翌日の朝、駅のホームには

優にいちゃんしかいなかった。


「おはよう」


「おはよ、春樹は一本早い電車で行ったよ」


私が尋ねる前に、

優にいちゃんは私の疑問に答えた。


もう五月なのに、

朝の空気はまだ冷たい。


「優にいちゃんは昨日、うちに来なかったね」


と、優にいちゃんに言うと、

部活が終わって自宅に電話したら、

春樹が居たので

そのまま帰ったとのことだった。


「春樹、かなりふさぎ込んでたよ」


ホームに入ってくる電車を眺めながら、

優にいちゃんが言う。


「俺、春樹と同室だからうっとうしくて。

ずっとベッドに潜り込んでるし」


 *


電車の先頭車両に

二人で並んで座る。

私たちの他に、乗客が数人いるだけだ。


「春樹は何か言ってた?」


「……矢沢とか言う人と付き合うんだって?」


優にいちゃんは、

さっきからずっと、

困ったような顔で笑っている。


「うん」


私の返事を聞いた優にいちゃんは、

もっと困った表情になって

しばらく何かを考えていた。


「よく知らない人の事を

悪く言いたくは無いけど」


言葉を選ぶように、

優にいちゃんが話し出す。


「その矢沢って人、良くない評判を聞くよ。

デザイン科まで噂が届いてる」


それ以上は何も言わなかった。

どんな噂なのかも教えてくれなかった。


 *


優にいちゃんは

いつも思慮深くて落ち着いている。

一歳違いとは思えないくらい大人で、

まだ子供みたいな春樹とは正反対だ。


「そんなに悪い人には思えなかった」


ふと、思い出したのは、

キスした後の矢沢先輩の顔だった。

あの、少し突き放したような表情が、

本当の彼なのかも知れない。


「千里ちゃんがそう思ったのなら、

そうなんだろ」


優にいちゃんは

にっこり笑って

私の頭をくしゃくしゃとなでる。


そして、


「ああ、

ついに千里ちゃんにも恋人ができたか。

先を越されちゃったなあー」


と言いながら、

大げさにガックリとうなだれた。


 *


教室の前まで行くと、

春樹が廊下の窓から写真を撮っていた。


両手でカメラを構えて、

少し上を向いて、

空の写真を撮っている。


窓の外を見ると、

大きな円盤型の雲が

水色のグラデーションを作っている。


春樹がその空をどう切り取っているのか

写真を見なくても分かる。


私の大好きな

春樹の空の写真。

私の大好きな

春樹のカメラを構えた横顔。


 *


邪魔をしたくなくて、

カバンを持ったまま

女子トイレに行こうとしたら、


「なんで逃げるの?」


と、春樹が空を見上げたまま

聞いてきた。


「あ、気付いてたの?」


できるだけ普通に、

春樹に話しかける。


「いいのが撮れた。今日部活行く?」


春樹も、

いつもどおりの態度を

意識しているみたいだった。


「うん、行こうかな」


「じゃあ、この写真焼いて」


「自分で焼きなよ」


お互いに

昨日の出来事には触れないまま、

二人で教室に入った。


 *


「私は千里をそんな子に

育てた覚えはありません!」


八千代に大声で怒られる。

絵の具を溶く手が、思わず止まる。


「私も育てられた覚えはありません」


色彩実習の授業中だった。

実習中は、他の授業と違って

私語をしていてもほとんど怒られので、

教室は結構にぎやかだ。


「彼氏ですって、なんてふしだらな。

千里は私の手元で

一生大切に育てると決めていたのに」


ハンカチで目頭を押さえながら、

八千代が泣き真似をする。

どこまでが冗談で

どこからが本気だか

さっぱり分からない。


「ごめんね」


「いいけどー、たまには私とも遊んでよね」


珍しく、

八千代が普通の女の子みたいな

口調でしゃべった。


本当にちょっと寂しそうで、

なんだか申し訳無かった。


 *


カラーチップと同じ色を

ポスターカラーという絵の具で

混色する課題だった。


DICカラー21番。

さっき春樹が撮影していた空みたいな

薄い水色のカラーチップ。


もう少し青いかな、

などど思いつつ絵の具を足していたら、


「千里は吉野春樹の事が

好きなんだと思ってた」


と、八千代がつぶやいた。


「わあっ、青入れすぎた!」


動揺して手元が狂う。


「あ、その青分けてくれ、

ちょっと足りないと思っていた所だ」


八千代が私のパレットから

筆で青い絵の具をすくう。


「春樹はいとこだよ。そんな風に見えた?」


春樹の方を見てみる。

パレットから絵の具があふれそうなのに、

まだ白を足そうとしている。


「んー、色恋事はよく分からんわ」


八千代が紙に試し塗りをしながら言う。


中学生の頃からの習慣で、

教室では春樹とあまり話さないのに、

どうして分かるんだろう。


もし八千代が恋をしたら、

私は気付いてあげられるのだろうか。

普段でも何を考えているか分からないし、

多分、無理だろうな。

と思って、ちょっと反省してしまった。