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6話 あの夜の真相

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「俺、今日はちょっと出掛けるから」



土曜日の朝。


仕事が休みということもあって昼前に起きた私に、カイは突然言った。


正直なところ、なかなか眠れなくて寝坊した、と言った方が正しい。


あの後、ベッドに入ってはみたものの。

あの学生証を見てしまったせいで、頭が妙に冴えていた。


知らないふりなんて、出来ない。


カイときちんと話をしなければ、ということは分かっていても。

どうやって話を切り出そう、とか。

どこまで話を聞くべきなのか、とか。

そんなことをぐるぐる考えて、結局結論が出ないまま不完全な眠りに落ちていた。



「出掛けるって、どこに?」


「んー? ちょっと野暮用」



答えになっていない返事をするカイは、それきり視線を逸らしてしまって。

私は完全に話をするタイミングを逃した。



「朝ごはん、簡単に作ったから、ちゃんと食べろよ」


「え・・・ありがとう」


「じゃ、行ってくるから」



出掛ける準備を整えたカイが、玄関に向かう。


その背中に、行ってらっしゃい、と小さく声を掛けることしか出来なかった。



なにやってるんだ、私。



今日、カイとちゃんと話をしようって決めたのに。

まともな会話をする暇もなく、結局なにも聞けなかった。



昨夜見てしまった、あの学生証の真相を―――。




◇◇◇




どこに行くつもりなんだろう。



私は電車を降りたカイのあとを追っていた。


カイが出掛けた後急いで準備を整え、咄嗟とっさに家を飛び出した。


特に考えがあった訳じゃない。


だけど、カイがどこへ行くのか知らなきゃいけない気がして、居ても立っても居られなかった。


急いで駅に向かったら、電車を待つカイに追いついて。

こうして今、カイのあとをつけている。


こんなこと、するべきじゃないって分かってる。


出来るなら私もしたくない。


でも、今は少しでもカイのことを知る必要があると思った。


だって、もし本当に17歳だとしたら。

今のこの現状は、家出と呼ぶに等しい訳で。

きっとご家族が心配しているはずだ。


このままだと、私も無関係じゃ居られないし。


『未成年者誘拐』という言葉にも笑えない。



私には、カイのことを無事に保護者の元に返す責任がある。


なにも知りませんでした、で済む問題じゃない。





まさか、ここに入るつもり・・・?



カイがまさに扉を開けようとしている店は、有名なフレンチレストラン。

前に、テレビで取り上げられていたのを見た気がする。




デニム姿のカイが、ドレスコードがあるようなフレンチレストランの中に姿を消した。



どうしよう。



咄嗟に自分の姿を確認する。


コートの下に着ているのはニットのワンピースだから、多分ドレスコードは大丈夫。


それ以前に、ランチの時間だからドレスコードは関係ないのかな。


でもよく考えると、私がこの店に入るのはマズい。


カイがなぜここに入ったのか分からないけれど、私がお店に入ったら、尾行していたことがバレバレだ。



ついて来たものの、これ以上どうするべきか分からず途方に暮れた。



それならせめて。

店内がよく見える場所に移動する。


ガラス張りの窓に囲まれているお店は。

外からでも、店内の様子を少し伺うことが出来た。


外から確認出来る席に、カイの姿はなかった。


諦めのため息を吐き出して。

再び店内に目を向けると、店の中央にあるグランドピアノが目に入る。


そういえば。


このお店は、食事中にピアノの生演奏が聞けるとテレビで紹介されていたっけ。


ちょっとしたコンサートが行われることもあるみたいだし。

時々有名アーティストが生演奏をするから、音楽ファンにも人気のお店なのだそうだ。


いつか行ってみたい、と思ったことはあるけれど。

普通のOLの生活水準からすると、ちょっと敷居の高いお店だった。


そんな場所に、カイはどうして・・・。



その時、店の中央に出てきた一人の男性。

私は自分の目を疑った。



「うそ・・・」



だって今。


優雅な仕草で、ピアノの前に腰を下ろし。

鍵盤に指を添えている人物は。



「・・・カイ?」



私が、姿を追って来た、その人だったのだから。





「当店に、なにかご用事ですか?」


突然声を掛けられ、我に返った。


目立たない場所に立っているつもりだったのに。

誰かに気づかれていたとしたら、私は完璧に不審者に見えただろう。


「すみませんっ、私、ちょっと・・・ピ、ピアノが好きで、その、見ていただけなんです」


声の主に向かって慌てて頭を下げて、すぐにその場を後にしようとしたけれど。

顔を上げた瞬間、意図せずぴたりと動きが止まった。


目の前に立っていたのは、黒いスーツを着て顎ひげを蓄えた、ワイルドな男性。


彫りが深くはっきりとした顔立ちのその人は、優しい笑顔を浮かべていた。

大人の男のフェロモンを感じて、自然と視線が釘づけになってしまう。


笑うと目尻に寄るしわが、妙にセクシーで。

ただ立っているだけで、人を惹きつけるオーラがあった。


「もしよろしかったら、聞いて行かれませんか」


予想外の言葉に驚いて、私は手を振りつつ後ずさる。


「とんでもありません。もう帰ります。ただ、ちょっと気になって見ていただけなので」


「まぁ、そう言わず。少しでも気にしていただけたのなら、是非。元々、音楽に興味を持ってもらいたくて開いた店です」


「でも、私・・・」


私が興味を持ったのは、ピアノじゃない。

カイが弾く、ピアノだ。


だけど、そんなことを言う訳にはいかないし。

このお店に入る訳にもいかないのに、どうしよう。


そんな私の心中を知るはずもなく、目の前の男性は優しく目を細める。


「申し遅れました、私はこの店のオーナーで沢村さわむらと言います。怪しい者じゃありませんよ」


「そんな、怪しいなんて」


私の緊張を解くためなのか、冗談めかして男性が言う。


こんな身なりのよい男性。

初めから怪しんでなんかいなかったのに。


「それにね、結構評判がいいんですよ、彼が弾くピアノ。お時間があれば、是非聞いてみて下さい」


「・・・お邪魔ではないですか?」


こんな人気店。

ただでさえ、ランチの時間は忙しいだろう。


外から見ることの出来る席ですら、全て埋まっているのが分かるのに。


オーナーの沢村さんは、そんなことは気にする必要はないとばかりに笑みを深めた。


「とんでもない。私がお招きしているんですよ。あいつのファンをちょっとでも増やしたいんです。まぁ、ただの親馬鹿みたいなものなので、お気になさらず」


さぁ、どうぞ、と背中をトンと押して。

反対の掌で店への道筋を優雅に示して、私を促す。


その自然な仕草に導かれるように、私は店内へ足を向けていた。



「いらっしゃいませ・・・って、オーナー、随分と可愛らしい方をお連れですね」


「うん、ちょっと、店の前でナンパしてきたんだ。あの席、今日キャンセル入ったんだよね?」


沢村さんの言葉に、出迎えてくれたウエイターさんが驚いたような表情をして、直後に苦笑いを浮かべた。


「はい、お席は空いてますが。ナンパって、オーナーが言うと洒落になりませんよ」


「はは、そう? 三井みついさん、後で飲みものをお願い」


「かしこまりました。お客様は、なにがよろしいですか?」


三井さんと呼ばれたウエイターさんに聞かれて、コーヒーをお願いすると。

彼は一礼をして、すぐにその場を去っていった。


「どうぞ、こちらへ」


沢村さんに促され、店内へ足を踏み入れてしまった。


カイにばれたらどうしようと、ドキドキしていたけれど。

沢村さんは、ピアノを弾いているカイの後ろ側の通路を通って行く。


丁度、カイから死角になっている位置だ。



黒と赤を基調にしたシンプルな店内。

広々とした空間を贅沢に使っており、店の中央にはグランドピアノが堂々と鎮座している。


そのピアノの前に座っているカイ。


店内は、カイの奏でる優しい音で満ちていた。


さっき自分の目で確かめたはずなのに。

この音を生み出しているのがカイなんて、信じられなかった。


食事中の人たちを邪魔しない音量で。

そして静かなBGMのように控えめな曲だけど。

聞く人を惹きつける、魅力のある音だった。


時に力強く、時に繊細で。

軽やかで切なく響く、そんな音。




沢村さんが私を案内してくれたのは、半個室のようになっている席だった。


ここならカイに見つかる心配はないだろう。


席についてようやく、これまでの緊張がほぐれた気がした。



「今日は、やけに色っぽい音を出すな」



私の向かいに座った沢村さんは、いい音だ、とつぶやく。


「なにか、心境の変化でもあったかな」


誰にともなく放たれた言葉に、私は不覚にもどきりとしてしまった。



そんなはずないのに。


カイに心境の変化があったとして。

それに私が関わっているはずなんかない。


だって、カイのことをなにも知らない私が。

カイがピアノを弾くことすら知らなかった私が。


カイに影響を与えられる訳がないのだから。



それなのに、自分との生活がカイに影響を与えたのかもしれない、なんて。

一瞬でも思ってしまった自分を消してしまいたくなった。



「あの、一つ、お聞きしてもいいでしょうか」


私は思い切って口を開いた。


さっき沢村さんが話していた言葉の中に、気になるものがあって、どうしても聞かずにはいられなかった。


「なんでしょう? 一つと言わず、いくらでも」


カイの方に向いていた瞳が、こちらに向けられる。


大人の魅力たっぷりな笑みを真っ直ぐ見つめることができない。


「先ほど、沢村さんは“親馬鹿”だとおっしゃっていましたが、あのピアニストの方とは・・・」


「ああ、そのことですか」


この店に入る前。

沢村さんが言っていた言葉が引っ掛かっていた。


昨日見てしまった学生証には『朝倉あさくら海里かいり』と書いてあったし。

それがカイのものだとしたら、沢村さんとは苗字が違う。


だから、さっきの言葉に深い意味はなくて。

お店のオーナーとしての“親心”という意味なのかもしれないけれど。


「あいつは・・・海里は私の甥っ子で、ここでアルバイトさせているんです。訳あって、今は私が彼の保護者のようなものなんです」


「保護者、ですか」


「ええ。ああ見えて、あいつ、まだ高校生なんですよ」



その言葉に、ごくりと息を呑んだ。



―――やっぱり、本当に高校生だったんだ。



唐突に知ることが出来た真実。


カイのことを知るためにここまで来たはずなのに。

思わぬ形で知らされた真実に、私は予想以上の衝撃を受けていた。


昨日から覚悟していたはずなのに。

心のどこかで、それが嘘であって欲しいと期待していた自分がいた。


「失礼します」


ウエイターの三井さんが一礼をして、席に近寄って来た。


彼の持つトレーから、コーヒーの香ばしい香りがふわりと漂う。


私たちの前にコーヒーのカップを置き、三井さんはその場を去ろうとしたけれど。

それを、沢村さんが小声で引き留めた。


二人の会話から小さく聞こえる“海里”という言葉に、思わず耳をすませる。


「三井さん、海里に手を出した例の客、出禁にしておいて」


「かしこまりました。本日も予約の電話がありましたが、私の一存でお断りしておきました」


「流石三井さんだ。まったく、男が居るのに一方的に海里に迫っておいて逆恨みされるなんて、とんだとばっちりだよ」


「海里も災難でしたね。店のトラブルにならないよう隠しておきたかったなんて、けなげなところありますよ。あんな怪我、どうやってオーナーに誤魔化すつもりだったんでしょうね」


「だから、突然居なくなったんだろう?」


小声でやり取りされる二人の会話。


けれど、私の耳にはしっかりとその内容が届いている。


心臓が、どくんどくんと脈打っていた。


だって、多分その話の内容は。

カイの怪我の真相だ。


思わず息を詰めて、その話に聞き入ってしまう。


「やり返さなかったことは認めるが、あんな風に怪我させられて、こっちだって黙って居られない。海里にはきちんと説明するよう言い聞かせるよ」


「居なくなっていた間、どこに居たのか聞きましたか?」


「いや、ふらっと実家に帰ったと思ってたから、なにも。三井さんが教えてくれなかったら、知らないままだったよ」



話の内容から察すると。

カイは、このお店のお客さんに一方的に言い寄られて。

その彼氏の逆恨みによって、怪我をさせられた、ということになるのだろうか。


だとしたら、出会った日にカイが投げやりに言っていたこととは、だいぶニュアンスが違う。


相手のことを言えないから病院に行けない、なんて言っておいて。


お店に迷惑を掛けたくなかった、というのが本音なのかもしれない。


それに・・・。


私の家に来る以前のカイは。

どうやら、沢村さんのところで暮らしていたらしい。


それが分かって、なんだかほっとした。


あの夜、帰る場所がない、とカイは言っていたのに。

あの状態で帰れなかった、と言う方が正しいのだろう。


よかったと、素直に思う。


帰る場所がないってどういうことだろうと、カイのことを心配していたけれど。

こうしてカイを心配してくれる人が居て。

カイに帰れる場所があって、本当によかった。


それが分かっただけで、今日ここに来た意味があると思えた。


「内輪の話で、失礼しました」


いつの間にか、二人の会話は終わっていて。

三井さんはもう居なくなっていた。


「海里のピアノはいかがですか?」


沢村さんに聞かれ、カイの奏でる音に耳を傾けながら答えた。


「凄く素敵です。正直に言うと、私、音楽に詳しくないんです。でもこんな風に、また聞きたいと思うような演奏に出会ったのは初めてです」


それが、カイの演奏を聞いた率直な感想だった。


「よかった。あいつにも教えてやりたいよ」


沢村さんは嬉しそうに笑みを浮かべた。


「是非またお越しください、いつでも歓迎します。次回お越しの際は、こちらをお持ちいただければスムーズにお席にご案内します」


沢村さんはそう言って、私に名刺を差し出した。

私もそれにならって、ポケットにあった自分の名刺を渡す。


「今度は、予約をして伺います」


ただでさえ、予約の取れないお店として有名だと聞いたことがある。

こうして予約もなしにカイのピアノを聞けただけでも幸運なのに、これ以上甘える訳にはいかない。


「それでは、新條しんじょうさんのご予約、心からお待ちしています」


今度、真優まゆと一緒に来てみようと思った。


カイときちんと話をして。

今の複雑な状況が改善して。

カイが居るべき場所に戻ることができたら。


全部落ち着いて。

真優にもきちんと報告することができたら。


二人でゆっくりカイのピアノを聞きに来たいと、本気で思った。



ピアノの演奏が終わって席を立った時には。

そこにはもう、カイの姿はなく。


グランドピアノが取り残されたように、ぽつんとあるだけだった。