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1-4 1週間前の夏の日

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 今から、ちょうど一週間前のことだった。夏の盛りは過ぎて、夕方になるとそれなりに涼しくなってきたかなっていう、九月も中旬過ぎの放課後。


 私の所属する二年九組の教室。そこには誰もいないはずだった。

 文化祭を目前とした教室は、作りかけの看板なんかで埋め尽くされてた。うちのクラスの出し物は駄菓子屋さんで、準備はいたって順調。先週までは毎放課後のように残って準備してたから、今日は中休みにしようって話だったのだ。だから、そこに誰かがいるなんて私は思ってもみなかった。


 ベランダ側の窓が開いてて、薄黄色のカーテンが大きくはためいてたのを覚えてる。風が止んで、バサバサはためいてたカーテンが一斉に萎んだ瞬間、それに隠されてた人影が現われた。


 城崎悠人。


 悠人は窓際の席に座って、背中を丸めて頬杖をついてた。その顔はベランダの方に向けられてて、教室の入口に立ってた私に見えたのは、鼻筋がすっとしてて目元は涼しく、そこらの女子なんかよりもよほど白い肌をしたきれいな横顔。茶色い髪がふわっとなびいて、またカーテンがはためきだした。


 私は思わず息を呑んだ。そして、そんな私に悠人は気がついた。


 目が合った。


 私と悠人には、同じクラスだっていう以外に共通点なんて一つもなかった。吹奏楽部の私は自分で言うのもなんだけどマジメちゃんで、クラスではわりと地味なグループにいた。一方の悠人は軽音部で、茶髪にピアスっていう見るからに派手な見た目、クラスでもそういうグループと仲良くしてたように思う。悠人のバンドには一部に熱狂的なファンがいるのも知ってた。


 つまり私たちは、事務的な会話くらいはしたことがあったと思うけど、思い出そうとしても思い出せないくらいの接点しかないクラスメイトだった。

 そんな悠人と、誰もいない教室で私は対峙してた。目が逸らせなかった。


 カーテンの狭間に見えた、悠人の目は赤かった。


 そして。


「……お前、なんで泣いてんの?」


 悠人に指摘されるまでもなかった。私の方も、泣いていた。


 顔が熱くなるのを隠すように目元を拭って、強がるみたいに悠人に言い返した。


「そ、そういう自分こそ!」


 私と同じように顔を赤くして、悠人も目をこすった。派手なイメージに反してその仕草はかわいげがあって、あとから思えばそれが悠人に対する見方が最初に変わったポイントだったのかもしれない。


 それまでなんの接点もなかった私と悠人は、偶然にもその日、揃って失恋したばかりだった。


 不思議と気まずさはなくて、生まれたのは妙な連帯感だった。二、三言葉を交わした私と悠人は、教室の外、ベランダに移動して並んで腰を落ち着けた。悠人は片膝を立てて思いっきりあぐらをかいてて、私はなんだか決まり悪くて三角座りをして膝を抱えた。


 学校はにぎやかだった。出し物の準備をするどこかのクラスの喧噪、運動部のかけ声、そして私が仮病で練習を休んだ吹奏楽部の合奏の音。


「ちょっと意外」


 私の方を見ず、ぼーっと空を見つめたまま、悠人はポツリと呟いた。その目はさすがにもう赤くなかったけど、二重の目蓋は少しだけぼてっとして見えた。


「何が?」


稲森いなもりさん、彼氏なんていたんだ」


 失恋=カップルが別れること、って認識してる辺りに、悠人との世界の違いを感じた。


 膝を抱えていた腕に少し力を込め、私も悠人の方は見ずに答える。


「彼氏じゃない」


「あぁ、片想い?」


 一応、悠人にも『片想い』という概念があるらしい。


「けど」


「けど?」


「私は、両思いだって思ってた」


 自分の口から出た言葉だっていうのに、そのあまりの思い込みのひどさに痛々しくてまた涙が出そうになった。


「泣くなよ」


 悠人にそう声をかけられたときには、すでにずびずび鼻をすすってた。


「しかも……」


「しかも?」


 悠人はちょっとげんなりした表情だ。


「親友に持ってかれた」


 心の中で訂正する。『親友』じゃなくて、『親友だと思ってた子』に。


「あー、痛いねそれ」


 涙が止まらなくなって顔を伏せた。第三者からの『痛い』認定は一層身に染みる。


 しばらくそのままぐずぐずして。ふと顔を上げたら、こちらを見てる悠人と目が合った。



「そういう、城崎くんは?」


「俺はその……」


 この期に及んで、悠人は言いよどんでいる。


「言ったら少しはすっきりするかもよ?」


 なんて、言った私はまったくもってすっきりなんてしてなかったけど。単純に、悠人の話に興味があった。同じ日に同じように失恋した、悠人の話に。あと、私は言ったんだからお前も言えよっていう気持ちももちろん。


 悠人は視線をさまよわせてから静かに息を吐き出した。右耳に触れつつ、口を開く。


「付き合ってた人に、『これ以上続けるのは無理』って言われた」


 予想はついてたけど。悠人にはやっぱり、彼女がいたのか。


 悠人が誰と付き合ってる、って具体的な噂は聞いたことがなかった。外に彼女がたくさんいるんだろうなんて勝手に思ってたけど。一人にフられてこんなにへこんでるくらいだし、人を見た目で決めつけるのはよくないな。


「付き合って長かったの?」


「付き合ってたのは、一年くらいだけど」


「けど?」


 さっきの悠人みたいに訊き返してみる。私の視線に負けたように、悠人は肩をすくめた。


「五年前から好きだった」


 私と同じく、自分の言葉に打ちのめされたように悠人は顔を伏せてしまった。


 五年越しの恋。五年って、小学生の頃から?


「……痛いねそれも」


 悠人は顔を伏せたまま頷いた。


 重たい空気になって、沈黙が訪れる。


 悠人がどんな恋をしてきたのか、私にはわからない。


 悠人も、私がどんな恋をしてきたのかわからないだろう。


 でも、ここにあるのは確かに同じ種類の痛みだった。


「……稲森さんさぁ」


 ふいに口を開いた悠人に顔を上げた。まっすぐに私を見てる悠人の視線とかち合う。


「諦められる?」


 即答なんてできない問いだった。


 私はそれまで、『失恋したこと』――『自分の想いを伝えられなかったこと』『ほかの人に出し抜かれたこと』で頭がいっぱいで、その先のことなんて何も考えてなかった。


 行き場のなくなった想いを処理する方法はただ一つ。


 諦めることだ。


 悠人は私から視線を逸らすと、その前髪をかき上げた。夕日が当たった茶色い髪は透け、黄金色に見えた。


「俺、諦めたくない」


 絞り出すような声。崩壊しまくってた私の涙腺は、また緩みかける。


「わかる。すごく、わかる」


 これまでずっと、大事に抱えてきた想い。


 それを簡単に手放して、思い出になんてしたくなかった。


「簡単に諦めたりなんかできないよね」


 溢れそうになったものを、上を向いて今度はなんとか飲み込んだ。


 悔しい。悔しい悔しい悔しい。


 こんなにも、その想いは私の中をまだ占めてるっていうのに。


「……あのさ」


 まじめな顔をして、悠人が少しこちらに身を乗り出した。


「俺、思いついたんだけど」


 風が吹く。悠人の前髪が流れた。


「稲森さん、俺と付き合ってみない?」