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8話 デートの結末

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La vie enヴィアン musiqueミュージック


ライトに淡く照らされた看板を呆然と見上げる。


佐伯さえきさんがディナーに連れて来てくれたお店。

そこはよりによって、カイがピアノを弾くフレンチレストランだった。




佐伯さんのあとを追って扉の前に立ち止まり、一瞬怖気づく。



カイが居たらどうしよう、とか。

沢村さわむらさんが居たらなんとなく気まずい、とか。

瞬時にいろんなことが頭をよぎったけれど。


予約までしてくれていたのに、今更“嫌です”なんて言えるはずもなく。


ここはもう、覚悟を決めよう。


敵陣に乗り込むような気持ちで、佐伯さんに促され扉をくぐった。



「いらっしゃいませ」



あの日のデジャヴのように。

お店に足を踏み入れた途端、ウエイターの三井みついさんが笑顔で出迎えてくれる。



「予約していた佐伯です」


「はい、お待ちしておりました」



三井さんが佐伯さんの後ろに居る私の顔を確認し、一瞬驚いたように目を見張った。

思わず苦笑いを浮かべ、佐伯さんに分からないように軽く頭を下げると。

この場の空気を悟ったのか、なにも言わず席に案内してくれた。


流石、一流サービスマン。

状況判断まで一流だ。


案内された席は、中央に置かれているピアノがよく見える席。

こうして店内が見渡せる席では、店内の雰囲気がよく分かる。


ドキドキして見渡した店内は、相変わらず心を癒すような素敵な音色で満ちていた。



・・・けれど。


カイじゃ、ない。


その事実に、ホッとしたようながっかりしたような複雑な心境に襲われる。


例のグランドピアノは、無人のまま蓋が閉じられていて。

その横に立っている髪の長い綺麗な女性が、ヴァイオリンを奏でていた。


今日も出掛けるとカイは言っていたけれど。

それがここでのバイトだとは限らない。


もしかしたら、夜はここでバイトをしていないのかもしれない。

またしても、カイのことをなにも知らない自分に苛立ってしまう。



「適当に、コースを頼もうか」


「はい、お願いします」



渡されたメニューには値段が載っていない。


料理の値段の基準が全く分からなくて躊躇ちゅうちょしてしまうから、ここは佐伯さんに任せた方がいいかもしれない。



「ワインも頼む? ワイン好きだったよね」


「今日は結構です。だって佐伯さん車だから、飲めないでしょう?」


「俺はいいの。すみません、こちらのコースにお勧めのワインはなんですか?」



佐伯さんが三井さんを呼び、ワインについて聞いている。

よく見ると、三井さんの襟元にはソムリエバッジがついていた。

料理とワインについての説明を聞き、佐伯さんは飲みものを頼んで。


しばらくすると、乾杯用に私用のシャンパンと佐伯さん用のノンアルコールドリンクが運ばれてくる。



「初デートに乾杯」


「・・・乾杯」



掲げられたグラスを合わせると、グラスの涼やかな音色がヴァイオリンの音色に混ざって響いた。


すぐに運ばれて来た前菜は、色鮮やかで見ているだけでも楽しい。

数種類の前菜は、少しずつ美しく盛りつけられていて、まるで小さなアートのようだった。



「美味しい」



前菜を一つ口に運び、思わずもれた本音。

美味しいものを食べると、本当に幸せな気持ちになれると思う。


自然に浮かんだ笑顔で、佐伯さんの方に視線を向けると。

にこにこと笑みを浮かべた佐伯さんが、こちらを見つめていた。


「いい顔するね」


「だって、本当に美味しいから」


「よかった。連れて来た甲斐があるよ」


身体にアルコールが馴染んでくるに従って、会話も徐々に弾む。


今日見た映画の内容をきっかけに、話題は映画の話になっていた。



「今日の映画、本当に面白かったです。ありがとうございました」


「よかった。前に新條しんじょうさんが好きだって言ってた映画のジャンルに似ていたから、気に入ってくれるんじゃないかと思ってたんだ」



そう言われ、え、と食事の手が止まる。



「私の好みに合わせてくれてたんですか?」


「たまたまだよ。俺が見たいと思ってたのと重なってただけ」



確かに以前、佐伯さんと映画の話で盛り上がったことがある。

そんな会話まで参考にされていたなんて。


ここまでくるともう、佐伯さんに脱帽。


なにからなにまでスマートだし。

女性の扱いにも慣れている。


佐伯さんなら、どんな女性でもデートに応じてくれるだろう。

なんで私を誘ったんだろう、と本気で思う。



「他になにかお勧めの映画があったら教えてください」


「沢山あるよ。今度お勧めのDVD、貸してあげようか」


「はい、是非っ」



佐伯さんのお勧めなら、きっと面白いだろうと思って、嬉しくなった。



軽く酔いが回って来た中、美味しい料理を食べて幸せな気持ちで笑みを浮かべると。

急に耳に届く音楽の曲調が変わって、意識が引き戻された。


ピアノの音だ、と認識して、ハッと視線を上げる。


いつの間にかヴァイオリンを弾いていた女性は居なくなっていて。

ピアノの前に、カイが座っていた。


アルコールのせいだけではなく、どくどくと心臓が鼓動を速めた。



カイ・・・。


心なしか、昨日聞いたカイの音色よりも、ピアノを弾くタッチが強い。


でも、昨日よりも強い曲調のものだからなのだろう。



「今度は、ピアノなんだね」



と、ピアノの方に一瞬視線を向けた佐伯さんに、どきりとしたけれど。

佐伯さんはピアニストが誰か、なんてことには気づかずにすぐに視線を戻した。



「ここで弾いてるピアニストは、なかなか評判がいいらしいよ」


「そう、なんですか」



その言葉にわずかに動揺したけれど。

実は、すでに知っていた。


昨日、あれからこのお店のことをネットで検索してみたら。

ここでピアノを弾く人物のことが話題にのぼっているサイトまであった。

密かに、カイにはファンというものがいるらしい。


元々、予約が取りづらいお店ではあるけれど。

特にピアノの演奏がある日が人気のようだ。


カイがピアノを弾く日の営業は、予約がすぐに埋まってしまうと評判だった。


あの容姿に、このピアノの音色。

多くの人が惹きつけられるのも、分かる気がした。



ピアノを弾いているカイは。

まるで知らない人みたい。


カイがあんな真剣な表情をすることを初めて知った。


昨日、ここでカイのピアノを聞いていなかったら。


偶然この店でピアノを弾いているカイを見ても、多分私は、カイだと気づかない。


私はカイのことを、ほとんど知らないままだ。


その事実が、なんだかとても寂しく思えた。




「新條さん?」


「え?」


「なんか、心ここにあらず、って感じ?」


「そんなことないですよ。ピアノに聞き入っていただけです」



佐伯さんは、なかなか鋭い。

カイのピアノが聞こえてから動揺して、料理の味もよく分からなくなっていた。


確かに上手いよね、と佐伯さんは感心したようにうなずいた。





「そろそろ、帰ろうか」


「そうですね」



食後のコーヒーを飲み終える頃には、カイはさっきのヴァイオリニストと二重奏を奏でていた。



テーブルで会計を済ませた佐伯さんは、当然ながら金額を教えてくれない。


私にも払わせて欲しいと言っても。

今日は俺に払わせて、と全く聞く耳を持たず、支払いを済ませてしまった。



「ご馳走さまでした」


「どういたしまして。こちらこそ、今日はつき合ってくれてありがとう」



丁度デュオが終わり、店内は二人への称賛の拍手が送られている。

私たちも二人に拍手を送り、席を立った。



扉に向かう途中、ヴァイオリニストの女性とカイが、ピアノの前で話している姿が目に入った。

女性の手が、カイの腕に触れられていて。

傍目で見ていても、カイに対する好意が伺える。



ふーん、やっぱり、モテるんだ。



親しげな二人の様子に、なぜか少し苛立つ。


でも、分かっていたことだ。

私たちが出会ったきっかけのあの怪我も、女性が原因だと聞いていたのだから。


扉を出る直前に、もう一度振り返り店内を見渡すと。



え・・・。



ばちり、とカイの瞳と視線がぶつかって、どくんと鼓動が跳ねた。



「どうしたの?」


「い、いえ。なんでもありません」



扉の前で足を止めていた私に、扉の外に居た佐伯さんが声を掛ける。

私は慌ててそのあとを追った。


カイの瞳は。


私が逸らしても、こちらに向けられたままだった。




◇◇◇




「ありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそ。今日は楽しかったよ」



宣言通り、帰りは佐伯さんの車で送って貰い、マンションの前まで辿り着いた。



「私も、今日は楽しかったです」



不本意ながら誘いに乗ったデートだったけれど。

今は正直に楽しかったと言える。



「そんなこと言われると、勘違いしたくなっちゃうな」


「え?」


「また、誘ってもいい?」



車内で隣に向けた視線に、相手の視線が絡む。


ただでさえ閉鎖的な空間が、やけに濃密な空気を帯びる。



こんな雰囲気は苦手だ。


自分が目を背けていたものを、思い出させるような気がするから。



「友だちからなんて言ったけど、それは本音じゃない」


「佐伯さん、あの、私は、」


「俺のこと、男として意識して欲しい」


「・・・・・・」


突然の言葉に、思考が止まる。


佐伯さんは、本気で言っているのだろうか。


本気なのだとしたら、私は・・・。



佐伯さんの言葉の意味を考えて沈黙すると。

隣で衣擦れの音がして、佐伯さんが近づく気配がした。


びくんと、身体が跳ねる。


隣でふっと、小さく息を吐く音が聞こえた。


「そんなに警戒しないで」


苦笑いを浮かべた佐伯さんが、手を伸ばしてきて。

そのまま身を乗り出して、助手席のドアを開ける。


車内の空気が、一気に和らいだ気がした。



「今日は、大人しく帰してあげる」


「佐伯さん・・・」


「おやすみ。また来週ね」



柔らかく笑みを浮かべた佐伯さんに、おやすみなさい、と返し車を降りた。

ドアを閉めてからも、車内から佐伯さんが見送ってくれているのが分かって。

私はそのままマンションの自動ドアを潜った。


ドアが閉まると、車はようやく走り出す。


車が見えなくなるまで見送って、エレベーターのボタンを押した。





「おかえり」



自分の部屋の扉を開けた途端、キッチンにいるカイに出迎えられた。



「え・・・カイ? た、ただいま」



心の動揺が声に出てしまったのは。

まさか、カイが先に帰っているとは思いもしなかったから。


今日は私より帰りが遅いと思っていたのに。

すでにカイはシャワーも浴びた後で。

相変わらず上半身裸で、冷蔵庫から飲みものを取り出していた。


そういえば。

帰りは少し遠回りをして、夜景の綺麗な道を通ってきた。


だから、カイの帰宅の方が早かったのだろう。



「なに、アレ? 俺に見せつけてんの?」



コップに注いだお茶を飲みながら、カイがこちらに視線を向ける。



「そんな訳ないでしょ。まさか、カイが居るなんて思わなくて」


「だから俺のことには、気づきもしなかったって?」



カイが苛立ったように言って。

ガツンと音を立てて、テーブルにコップを置いた。



「随分楽しそうにしてたよな」



やっぱり気がついていたんだ。


もしかしたら、帰る間際に気づかれたと思ったけれど。

どうやら、カイはもっと前から私たちに気づいていたらしい。



「だ、だって、実際楽しかったから」


「へぇ。じゃあ、あいつは彼氏候補から、彼氏に昇格?」


「そういう意味じゃないよ」


「・・・なんで、あいつなんだよ」



カイがまだ湿気の残る髪の間から、鋭い視線を向けてくる。


向けられた瞳に、ごくりと喉が鳴る。


瞳の迫力に気圧されて、一歩下がった私に。

距離を詰めるように、カイが一歩近づく。


歩幅が違うせいで、カイとの距離が縮まってしまう。



「俺が弟で、あいつが彼氏かよ」


「だから、カイ、それは違うから」



一歩、一歩。


後ずさりする度、距離が縮まる。



ぴりぴりとした空気を肌で感じていた。


どうして、カイはこんなに怒っているんだろう。



「俺じゃ、ダメなのかよ」


「カ、カイ? なに言って、」


「なんで、俺じゃダメな訳」



な、なに言ってるの?


壁際に追い詰められて。

胸がドキドキと鼓動を速める。


突然こんなことを言うなんて、カイは一体なにを考えているのだろう。



急に、カイのまとう空気が変わって。


怒りをにじませていた瞳が、切なげに揺れる。



なぎさ



ささやくように呼ばれた声にも、身体が固まって反応出来ない。



一歩。


これ以上ない位に、距離が近づく。



もう、この空気に耐えられない。

両手で思い切りカイの身体を押し返し、そして―――



「だって・・・カイは、高校生なんでしょ!?」



パニックになった私は、唐突に叫んでしまった。



カイの動きがピタリと止まる。




い、言っちゃった。



しかも、最悪のタイミングで―――――。