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8話 First Mission

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『―――叶美かなみ、落ち着いてやれば大丈夫だ』



 ザザッというノイズ音に混じり、れいさんの声が聞こえる。



『黒髪に金メッシュを入れている男。そいつが敵チームのナンバースリーだ。隣に青い服を着た女がいるだろ。その女の鞄に滑り込ませるだけでいい』



 ドクドクと、心臓が早鐘のように鳴っている。じわりと汗のにじむ手を握り締め、私はその女性に向かって足を踏み出す。


 大丈夫、私ならできる。なけなしの勇気を振り絞り、ポケットにある固い感触を確かめた。




 “計画を実行する”と言われたのは、昨夜のことだ。


 計画を聞かされたのは火曜日で、実行すると最終決定が下されたのが昨日の金曜日。覚悟はしていたものの、いざ敵の懐に飛び込むとなると、不安になるものだ。


 あまり眠れないまま今朝を迎えた私は、夕方までそわそわと過ごし、集合場所へ向かった。 


 集合場所は、以前双子に連れて行かれた喫茶店だ。以前と違うのは、カウンター以外の席が、柄の悪い男達でほとんど埋まっていることだった。



「叶美、こっちだ」



 カウンター席にいた玲さんに呼ばれ、私は周囲からの視線に居心地の悪さを感じつつ、近づいて行く。誰も何も言わないけれど、私のことを好奇の視線で見つめているのは分かった。


 店にいる大半の人が髪を染めている中で、玲さんの傷みのない黒髪はよく目立つ。


 一見しただけでは、この人が不良チームのトップだなんて、誰も思わないだろう。それくらい異質な存在に見えた。



「こんにちは、した…、玲、さん」


「ああ。迎えに行けなくて悪かったな」



 遂に名前で呼んでしまった。変に緊張していたのだが、声が裏返ってなかっただろうか。


 昨日奏汰かなたに、年上の男性を名前呼びするのは失礼ではないか尋ねたら、“別にいいんじゃない?”という返答をもらった。


 本人が希望している場合やあだ名が定着している場合は、そんなに気にしなくていいらしい。


 そこで心の中でずっと練習していたのだが、慣れるまでまだまだ時間がかかりそうだ。



「他の皆さんは、まだ来てないんですか?」


「ハル達は、先に店に潜り込んでる。拓海たくみはもうすぐひじりを連れて来るはずだ」



 その時タイミングよく逢坂おうさかさんと潤賀うるがさんが店に入って来た。


 玲さんや潤賀さんはともかく、普段品のある服装をしている逢坂さんが、珍しくラフな格好で現れたことに驚く。思わず見つめていると目が合ったので、慌てて挨拶をした。



「玲、頼まれてたの持って来たよ」



 逢坂さんが手にしているのは、綺麗な宝石がついたイヤリングだった。女性ものと分かるそれは、玲さんの手から私に渡される。



「このイヤリングには超小型の盗聴器が仕かけられてる。お前の役目は、これを敵チームの幹部と親しい女の持ちものに、紛れ込ませることだ」


「と、盗聴器って…」



 それって、だいぶアンダーグラウンドなやり方だと思うのだが。第一、こんなものどうやって手に入れたのだろうか。


 唖然としてイヤリングを見つめていると、不意に「おい、」と声をかけられた。緑色の髪の……そうだ、この前双子と言い合っていた…。



「メグさん」


「ぁあ?」



 喧嘩腰な声を出されてヒッとのけぞる。怒鳴られるのかと思って一歩後退すると、彼は虚をつかれたように眉を下げた。



「いや、その、別に怖がらせようと思ったわけじゃねえんだけどよ…。お前、この前ダブルハルと一緒にいただろ。志鷹したかさんは突然お前をスパイ要員として採用したとか言い出すし。今日はクラブにも行くっつーから…」



 いまいち話の要点がつかめず、首をかしげる。


 メグさんは、「だからつまりっ」と自分の髪をガシガシとかき乱しながら言った。



「気をつけろよ!」


「…!」



 それだけ告げ、奥のテーブルに戻って行くメグさん。


 私はその後ろ姿を見ながら、なんていい人だろうと目を輝かせた。


 人は見た目によらないとは、こういうことを言うのだろう。双子に殴りかかろうとしていた時は、あんなに怖そうだと思ったのに。


 メグさんが消えた方向をいつまでも見ていると、「何してるの?」といぶかしげな表情をした逢坂さんが顔を覗き込んで来た。


 そろそろ出発するという彼とともに、外に停めてあった車に乗り込む。


 既に玲さんと潤賀さんは車の中にいて、私は玲さんの隣に、逢坂さんは助手席に座った。潤賀さんは…どうやら玲さんの向こうで寝ているようだ。相変わらず肝が据わっている。


 クラブに向かう途中、全員にイヤホン型無線機が配られた。クラブ内では各自別行動になるので、これで皆と連絡を取り合うことになっている。ここまで本格的だと、スパイ活動というのもあながち嘘ではないと思った。


 車は一度人気のない裏路地で停車し、潤賀さんが車を降りる。彼は裏口の見張りを割り当てられていた。



「あの、気をつけてくださいね!」



 ドアが閉まる前にそう言えば、潤賀さんの眠そうな目がこちらを向いた。そして今初めて私の存在に気づいたという風に、不機嫌そうな声をもらす。



「あ? 誰だテメー。玲の女か?」


「っ!?」


「…聖、前にお前の喧嘩に巻き込まれたやつだ。ネックレス探しを手伝うことになったって言っただろ」



 玲さんが呆れたように言っても、潤賀さんは私のことを覚えていないようだった。


 何というか、ショックだ。確かに会話したのはハンバーガーショップに行ったあの日以来だけど、今まで何度か一緒にいて、存在を認知されていないとは思わなかった。



「…私、影が薄いんでしょうか」



 車が再度出発してから告げると、前で逢坂さんが「気にしなくていいよ」と言う。



「あいつ、人の顔とか全然覚えないんだ。喧嘩と食欲と睡眠でできてるようなやつだから」


「実際、俺達のことも五、六回目でようやく認識したからな」


「覚えられるまで何回も喧嘩ふっかけられて、ほんとに迷惑だったよね」



 二人の口調から、過去を思い出して疲れているのが感じられる。会う度に喧嘩を売られるなんて、きっととんでもなく大変だったに違いない。


 クラブの入り口が見える辺りで車を止め、逢坂さんは後ろを振り返った。



「それじゃあ玲、これが店の見取り図だよ。通信器具の使い方は分かってるよね」


「ああ。叶美、イヤホンはめとけ」


「はい」



 ドラマでSPがしているようなイヤホンをはめ、緊張をほぐすために深呼吸をする。


 ザザザッというノイズ音に紛れて、高めの声がわずかに聞こえている。店の中にいる双子のものだろうか。



「気をつけて行って来いよ」



 玲さんに見送られ、私と逢坂さんは車を降りる。玲さんは車内で全員の位置を把握しつつ、司令塔の役目をすることになっていた。


 店の黒いドアが近づくにつれ、不安が胸に広がって行く。


 足が重たい。それになんだか、頭もくらくらして―――



「さっき、恵一けいいちと何話してたの?」


「え…」


「ああ、メグって言わないと分からなかったかな」



 前を歩いていた逢坂さんは、そう言って私に顔を向ける。



「あ、気をつけろよって言われました」


「あいつ、あれでけっこう面倒見いいやつだからね。ハル達に遊ばれてる君を、放っておけなかったんじゃないかな」


「はい。凄くいい人だと思いました」



 言いながら、自分が自然と笑っていることに気がついた。


 逢坂さんは私の緊張をほぐすために、意図して明るい話題を振ってくれたのだ。


 メグさんはいい人だと思うけど、逢坂さんも実はとても優しい人だと思う。


 一歩ドアの中に踏み込むと、そこは別世界だった。頭に響く大音量の音楽に、青や緑の照明が目に痛い。開店してすぐの時間帯にも関わらず、店内にはたくさんの若者がいた。


 露出の激しい服装で踊っている女性達を見ていると、逢坂さんに飲みものの入ったグラスを差し出された。どうやら店員からもらって来たようだ。一般客に紛れるためだろう。


『お酒だから飲まないでね』と、目の前の逢坂さんからではなく、イヤホンから声が聞こえる。騒がしいこの場所では、非常に有効な通信機器だ。



『こちらハル二号。王子聞こえるかー?』


『聞こえてるよ』


『お、ちゃんと聞こえるな。俺達はもう中にいる。王子のターゲット見つけたぞ。奥の方で女と踊ってる』


『了解。上手くやるよ』


『もしもし、こちらハル一号。ナンバースリーはさっきからずっとテーブル席で酒飲んでる。その隣の……』



 一号という点から兄の春陽はるひくんではないかと推測できるが、その声が突然ノイズ音にさらわれて聞こえなくなる。



『ハル? どうかしたか?』


『…何か言ってるようだけど、聞こえないね。水にでも落とさない限り、不具合は起こらないんだけどな。一人で行ける?』


『はい、大丈夫です』



 場所は分かったし、近くに行けば春陽くんが見つかるかもしれない。


 私とは違うターゲットのもとへ向かう逢坂さんと別れ、私は一人テーブル席の方へ進む。途中で通りがかった店員に、口をつけていないグラスを返した。


 人混みに紛れ、さりげなくターゲットの女性を探す。男性と一緒に飲んでいる女性客はたくさんいて、どれがそうなのか全く分からない。


 諦めて春陽くんの姿を探しているうちに、『終わったよ』という逢坂さんの声が聞こえた。なんて早さだろう。私も急いで見つけなければ。


 ノイズ音の奥から志鷹さんの声がしたのは、その時だ。



『叶美、聞こえるか?』


『は、はい。聞こえます』


『春陽がイヤホン壊したらしい。緊急用のペン型カメラが起動してる』



 そんなものまで用意していたのか。驚いたが、声には出さず志鷹さんの話を聞く。



『カメラにはお前の姿も映ってる。春陽はすぐ近くにいるから、心配しなくていい』


『分かりました…』



 その後、志鷹さんに言われた青い服の女性を見つけ、私はそちらに向かってゆっくりと歩き出す。


 もの凄く緊張しているけれど、志鷹さんが的確な指示を出してくれるので、頭は冷静だ。


 女性が左肩にかけているバッグ。チャックは開けっ放しになっている。すれ違う際にイヤリングを滑り込ませることができそうだ。


 ナンバースリーという男性が、仲間に肩を叩かれ後ろを振り向く。


 ―――今だ!


 私はポケットから盗聴器つきのイヤリングを取り出し、女性のバッグに手を伸ばす。


 そしてまさにそれを入れようとした瞬間、ドンッと強く背中を押されバランスを崩した。後ろにいた客が酔ってふらついたようだ。


 しまった、と思った時には遅く、私は女性にぶつかり倒れ込んでしまう。女性の肩からバッグが落ち、中身が床に散乱した。


 床に膝をつきながら、一瞬頭が真っ白になる。しかし「ちょっと、最悪!」という女性の声が聞こえた時には、私は我に返ってイヤリングを探していた。



「ねえあんた! 早く拾ってよ!」



 怒鳴る女性に気づき、周囲の視線がこちらへ向く。


 ―――どこ? どこに…。


 視界の端に、きらりと光るものがあった。イヤリングだ。見つけた!


 手を伸ばしかけた私の目の前で、紫のマニキュアをした手がそれを持ち上げた。


 青い服の女性かと思ってバッと顔を上げると、そこいたのは別の人物だった。女性よりも、少女と呼ぶ方が似合いそうな、綺麗な金髪の女の子。私と同い年くらいだろうか。


 彼女は私の横にしゃがみ込み、散乱したものを拾い始める。それらと一緒に、イヤリングも女性のバッグに入った。



「まったく、ついてないわね!」



 そう言った女性は、金髪の少女からバッグをひったくるように奪い、私に舌打ちをして去って行く。


 それに伴い周囲からの注目も消え、私は安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになった。それを、まだそばにいた金髪の少女が支えてくれる。



「あ、ありがとうございます…」



 この女の子がいなかったら、どうなっていたか分からない。感謝の気持ちを込めて頭を下げると、彼女は微笑んだまま私の腕を引っ張った。



「え…、あの!」



 私の腕を握る手は強く、とても振り払えない。人の波を縫うように進む彼女は、店を出て少しした辺りでようやく手を離した。


 そして、ケラケラと笑い出す。その声には聞き覚えがありすぎて、私は目を丸くした。



「え!? ま、まさか…」


「アッハハハ! 俺だよ俺、春陽!」


「は、春陽くん!?」



 そんな馬鹿な! 叫び出しそうな心境を抑え、私は彼女、いや、彼の姿を見た。


 下はジーンズだが、上は女性もののトップスを着ているし、化粧もしている。髪はウィッグなのだろうか。そして、その胸のふくらみはいったい…。


 思わず胸を凝視していると、「いやーん、エッチ」と、春陽くんはわざとらしく手で胸を隠す。


 その姿がどこからどう見ても女の子にしか見えなくて、軽くショックを受けた。私より数倍可愛い。



「ど、ど、どうしてそんな格好を…。もしかして、春翔はるとくんも…」


「もちろんハルもしてるよ。俺達、街では顔が売れてるだろ? だから変装でもしないと、こんな潜入捜査できないんだよなー」



 楽しげに言う春陽くんを唖然と見つめる。


 そんな時、背後から車のクラクションが聞こえて、私達は同時にそちらを向いた。


 私が乗って来たものとは違う黒い車。その後部座席の窓から顔を出した春翔くんが、私達に手を振っている。



「お疲れー。マンションに行くから叶美も乗れよ」


「玲さん達は?」


「別の車でとっくに帰ってる」



 二人に挟まれる形で車に乗り込むと、既にウィッグを外した春翔くんは、化粧を落とし始めていた。足元に落ちているのを見る限り、胸にはパットを入れていたようだ。


 化粧の下から見慣れた素顔が現れるが、違和感がぬぐえない。ここまで女装が似合う人も、なかなかいないのではないだろうか。


 反対側では春陽くんも手早くその作業を終え、二人そろってTシャツに着替え出す。私は慌てて目をつむったが、顔が赤いことをさんざんからかわれることになった。




「やあ、お疲れ様」


「王子お疲れー」


「今日も鮮やかな手際だったなー」



 リビングに入ると、普段着に着替えた逢坂さんがいた。優雅にコーヒーを飲む姿を見て、やはりこちらの方が似合うと考える。



「お疲れ様です、逢坂さ…、王子さん」


「あれ? 結局あだ名で呼ぶことにしたんだ?」


「はい、あの、弟に特に問題はないだろうと言われたので。それに、今でもたまに間違えそうになるし…。逢坂さんがそれでいいなら」


「拓海でもかまわないんだよ?」


「そ、それは遠慮しておきます」



 さすがに逢坂さんを名前呼びする勇気はない。おこがましいにもほどがあるというか、もう少し親しくなったら考えよう。


 私がソファーに腰を下ろすと、当然とばかりに双子が両隣に座って来る。だんだんここが、私の定位置になってきていた。



「そういえば、玲さんと潤賀さんはどうされたんですか?」


「さっき裏口に迎えに行ったら、聖のやついなくなってたんだよ。どうせどこかで喧嘩でもしてるんだろうけど。玲はその聖を探しに行ってる。こういう時、リーダーじゃなくてよかったと思うよ」


「そ、そうなんですか…」



 玲さん、大丈夫だろうか。面倒事を全部引き受けてしまいそうな人だから、頑張りすぎないか少し心配だ。



「なあ叶美ー。王子の相手より俺達を優先しろよ。こっちは女装までして頑張ったんだぞ。ねぎらえよ」



 不服そうな声とともに、右腕が引っ張られる。


 私が真ん中に座った時、高確率で右側は春翔くんだ。今日もそうで、彼の左耳では青いピアスが光っていた。



「えっと…、お疲れ様」


「何だよそれ、つまんねー」


「こいつに期待しても無駄だろ、ハル。こうなったら、俺達で何してもらうか考えようぜ」


「お、いいなそれ。何にする?」



 春陽くんの提案により、二人は私の頭越しに話し合っている。何かとんでもないことを言い出しそうで、私はビクビクしながら二人の話を聞いていた。


 最終的には、今度一緒に遊びに出かけるということでまとまり、私も渋々うなずく。


 イヤリングのことで春陽くんに助けられたのは本当だし、そのお返しと思えば、一緒に遊ぶくらい何てことはない。……たぶん。


 ヒュー、と口笛を吹いて喜んでいる双子を見ながら、私はふと“欠陥”という言葉を思い出した。


 玲さんの言うそれが双子の何を指しているのか、私にはまだ分からない。


 二人が私に見せていない面があるのか、それとも私が気づいていないだけなのか。どちらにしろ、今の彼らの笑顔に陰りはない。


 この笑顔が続いている限り、私が今後双子の“欠陥”について思い出すことはないのかもしれない。


 そうあればいいと、願った。